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若者がFを叫ぶ#05「ひなたび vol.1 @檜原村 後編」

若者がFを叫ぶ#05「ひなたび vol.1 @檜原村 後編」

どうも。Fuck野郎です。

ひなたび @檜原村 後編です!!
少し間が空いてしまいました・・・・

前編では1日目が終わったところまで書かせてもらいました。
前編では諸々詳しく書きすぎて全然進まなかったのでその反省を生かして、少し軽めに、経験、思考をたどっていこうと思います。

2、3日目は地域に入ってお仕事をされている方々のお話を聞かせていただくことができました。

調査の拠点としてお世話になったゲストハウスへんぼり堂にくる前から、オーナーさんに「〜〜な研究でいくので〜〜な人がもし地域にいらっしゃったら繋いでいただけませんか」といった旨の連絡をさせていただいたところ、アポイントを取ってくださっていたようです。
本当にありがたいです・・・・

へんぼり堂でお話くださった方、ジャガイモを植えるお手伝いをさせていただきながらお話くださった方(笑)・・・


畑の画


イモ植えの画

お二人のお話を伺い、なんとなく、見えてくるものがありました。
主要な3つのポイントを挙げてみます。

1、自治会の意義の揺らぎ
2、「合併」に対するイメージのギャップ
3、中央に依存せざるを得ない産業構造

それぞれ解説していきますね。

1、 自治会の意義の揺らぎ
自治会とは、その名の通り、自治組織です。

朝日新聞掲載「キーワード」の解説には以下のようにあります。
―自治会市町村の字など一定区域に住所をもつ人たちの住民自治や親睦のためにつくる地縁団体。総務省によると、団体数は約30万(2013年)。「町内会」や「区」など地域によって呼び方が違う。行事、慶弔、防災などの活動を共同で行うほか、行政から広報誌の配布などを委託される場合もある。原則、加入や退会は自由にできるが、未加入者が自治会管理のごみ集積場の使用を拒否されるなど、トラブルの例もあるー

こんな定義があるらしいです。昔から自治体はたくさん存在していて、自治体同士の合併を繰り返して現在のまちを形作っています。自治会は、昨今叫ばれる「地域包括ケアシステム」の自助・共助・互助・公助が自然発生的に行われる場のような役割を担っている訳ですが、お話によると、
・地域での付き合いでお金を取られるのが嫌だという声が多い。
・自治会費の他に「組費」というものを払う必要があり、それに対する不満の声もある。

という空気感についてお話しいただきました。その組費はテレビの共同アンテナや地域の集まり、お葬式といったお金に使われるようです。この仕組みに対しても不満が出てくる、というのは、もはや集団自治の時代から個の時代への移り変わりへの現れなのかもしれません・・・

2、 合併に対するイメージのギャップ
これはチェリーピッキングな意見のように聞こえましたが、お話くださった方の周りで起こっている事実として衝撃を受けました。
2000年代初頭に行われた平成の大合併に際して、檜原村は住民の半数以上が反対し、結局合併は避けられました。そのとき、合併を頑なに拒んでいたのは若者やU.Iターン者の割合が多く、お年寄りは無干渉の方もおり、合併してもいいと思っていた方も少なくなかったとのことでした。
なんとなく、その土地に住み続けてきたお年寄りが頑なに合併を拒むようなイメージがありましたが、そこに現実とのギャップがあり、驚きました。
これは檜原村の特性で、若者の意欲、村を残していくという強い意志の表れかもしれません。確かに、この記事をアップする今となって、私は4度檜原村を訪ねましたが行くたびに若い方の檜原村に対する想いを感じます。若者は村を守っていかなくてはいけないという責任感、村に対する愛に溢れています。昔の物に価値を感じるのはお年寄りの世代だとばかり思っていましたが、意外にもそれは若者に言える傾向だったのです。

3、 中央に依存せざるを得ない産業構造
檜原村で大きな会社、といったら昔からある林業の会社と建築の会社のみで、あとは家族経営の小さな会社がほとんどだ、というお話を伺いました。これだけで村の経済は担えませんし、女性の働くところはごく僅かとなってしまいます。
ただ、「東京唯一の村である」「東京の水溜めである」「東京の林業の中心である」「県境のため交通面で大きな役割を担っている」という「村を残す理由」がたくさんあるため、都が多くのお金を村につけている、という現状があります。そのお金に住民が満足している、満足していない、という問題は置いておいて、そのお金があるからこそ檜原村が成り立っていることは間違いありません。
仮に、突如中央の恩恵を受けられなくなった時のことを考えると、とても恐ろしいです。もちろん村民もこの課題に気づき、対策を講じて頑張っている姿は非常によく見えますが、ここまで極端な産業構造を変えていくのは住民の力だけでは難しいのではないか、と思った次第です。

まぁ、こんなことを畑を耕しながら聞き、考えていました笑

 

檜原村にはほとんど平地がなく、農地も斜面にあるのです。
いい景色です・・・

一仕事終え、村のお蕎麦やさんに連れて行っていただきました。

手打ちそば 深山 というお店。

 

お庭は時代が違います。

※武蔵野市ではありません。

いやぁ、とっても美味しいお店で、店主のおじさんもお話好きでとても明るい方でした。
また来よう・・・

もはや何を目的に来たのかもわからないくらい、檜原村を満喫しました。遊びも研究も紙一重です。なんなら同じくらいの感覚でできないといけないのかもしれません。「調査者です」と気張って行かずに、「興味あるんです、お話聞かせてください、お手伝いします」というような雑草の生えまくった身なり風格で行ったからこそ、色々なお話を聞かせていただけたのかもしれません。ズブズブに地域に浸って、いい感じにしんなりしてきたらきっと見えてくるものもあると思いますし、第一自分がその地域を心から好きになってその地域のために研究ができると思っています。ゆっくりじっくり時間をかけて、住民さんが「調査対象」ではなく「仲間」になるような関係性ができるまで通い、そこから「調査」という感覚ではなく「自分の役割」という感覚でできるまで通います。

檜原村は「調査に行こう」というよりも毎月遊びに行くところ、という位置付けになっています。実際4月〜7月まで毎月行ってます笑
これがどう研究に生きるかわかりませんが、いいんです。

麦を炒り

ピザを焼き

お好み焼きに食いつく

そして地元の人と夜通し話す。
何が研究だ、ふざけるな、と言われそうな事しかしてませんが・・・
めちゃめちゃ楽しいですし、現場のリアルがわかります。
遊んでた方が、勉強になってるんです。
これからも、私は檜原村に通います、ファンとして。研究になるかは知らんけど。

もっといろんな地域のファンになりたいです。
いつか「自分の役割」として研究ができる時がくる事を願って、ひなたびを続けていこうと思います。
次は8月、東北に行きます!!お楽しみに!!!

Text by : HINATA MAEDA慶應義塾大学総合政策学部(SFC)1年
まちの終活だとか、死に際の生き甲斐だとか、はっきりしないものばかり追い求める青二才。