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『介護福祉士である私の今の仕事は、目の前にいる人の「〜したい」を叶え、「人生の最終章」を豊かにデザインすること。』:23歳女子が語る[人と出会うためのツール、KAIGO]001

[連載]
23歳女子が語る「人と出会うためのツール、KAIGO」001

みなさま初めまして!
「毎月第1日曜日」に連載を持たせて頂くことになりました、介護福祉士の川上陽那です。今回は初回なので、私の自己紹介を兼ねて介護福祉士になるきっかけから今に至るまでのヒストリーをざっくりまとめてみました。

良かったら最後までお付き合いくださ〜〜い!

プロフィール
*名前:川上陽那(はるな)
*年齢:23歳
*生年月日:1995年2月23日(双子の妹)
*血液型:マイペースなO型
*出身:群馬県桐生市
*在住:東京都世田谷区
*職業:介護福祉士
*職歴:特別養護老人ホームの介護福祉士3年目
*その他連載:認知症とポジティブに向き合うウェブマガジン「認知症ONLINE」
*好き:旅/珈琲/映画/スポーツ(バスケ)
*好きな言葉:人生山あり谷あり崖あり溝あり壁あり穴あり

介護福祉士になったきっかけ
みなさんも中学生時代に職場体験というものを授業の中で経験された方が多いと思うのですが、私はその職場体験で数多くの友達が飲食店やスーパーなどを選択する中、特別養護老人ホームを選びました。選んだ理由は私の家庭環境にあります。
それほど重たい話ではないのでさらっと聞いて欲しいのですが、実は私は母子家庭に生まれたため多くの時間を祖父母と過ごしてきました。そんな環境で育った私は「将来はこのふたり(祖父母)の為になる仕事に就けたらいいな〜」と、なんの変哲もなく考えるようになっていたのでした。そして、その体験先の職場(特別養護老人ホーム)で私が見たのが、じいちゃんばあちゃん達と楽しそうに笑う介護福祉士さんの姿でした。「え〜〜羨ましい!!こんなに楽しい仕事があるんだ!私も絶対にこの仕事がいい!」っと気が付いた時にはもう介護福祉士になると心に決めていたのだと思います。
こんなことを人に言うと、「良い子だね〜〜」とか「なんていい話なんだ!」なんて言わせてしまいがちなのですが、天皇の子供が天皇になるのが決まっていたみたいに、あくまでも私の家庭環境がそうさせたものであって決して良い子ではないので悪しからず。です。いくら祖父母の為になるとは言え、何せ群馬を離れて東京に出てきてしまったので…。

群馬に帰ると「ばあちゃんのことを介護してくれるんじゃなかったの?なんで他のジジババばかりみてるのよ〜」と胸がズキズキ痛むような話をされてしまいます。
私は「そんなに安心されたら困るよ〜〜ばあちゃんには介護は必要ないよ」と言い返すのが精一杯なのです。ww

「介護の仕事は3Kだという真実を覆してくれたウブドべ岡さんとの出会い」
そんな私が高校を卒業した後、介護福祉士の資格を取得するために専門学校に上がると待っていたのは悲しい現実でした。実習先の事業所で、テレビのニュースで、ネットで、近所で、とにかく「介護」に対する様々なネガティブな情報があちらこちらから入ってくるのです。「3Kって何?キツイの?汚いの?給料安いの?介護って面白いはずではなかったの?なんでみんなこんなに嫌々仕事をやっているの?私これから介護の仕事に就くのにどうしよう…」心の中で大きな不安を抱えて生きていました。
(今思うとなんでそんな情報に染まってしまいそうになっていたんだ!と自分に喝を入れたいくらいなのですが、高校時代にバスケしかしてこなかった18歳の私は、アンテナも低く、心もピュアだったことをご想像して頂けたらと思いますww)
そんな中、学校の特別授業というコーナーで講師として来てくれたのが、NPO法人ウブドべ代表の岡さんでした。講義では自身の介護体験のエピソードも話してくれたのですが、何より岡さんと一緒に写真に写るじいちゃんの笑顔が弾けていて、今まで抱えていた不安は、「こんな仕事を私はこれからできるんだ!」という喜びと期待に変わりました。「介護の3Kとは、かわいい・かっこいい・結構おもろいなんだぜ!!」って意気YOYOと話す岡さんに、私は「だよね!!!介護って面白いんだよね!?そうだよね!?ありがとう!!」と心の中で叫んでいました。


岡さんの講義で教わったことは、今でも私の人生に活きるものばかりです。(真顔)

「介護福祉士の仕事・役割ってなに?!3年間自分に問い続けて出た私の答え」
私は多くの理想や希望を胸に就職しましたが、いざ現場に出ると、確かにみんな楽しそうじゃない。仕事を生き生きとやっている人は少なかったです。でも私は私。ここにいるじいちゃんばあちゃんと楽しく生きるんだと言い聞かせながらも自分の仕事に没頭しました。
実際はもちろん楽しいことばかりではなく、他の職員との衝突もありました。でもそんな事より何より、人の死というものを通じて「最期に何も力になれなかった時の虚しさ」や「想いを伝えきれなかった悔しさ」、「命の尊さ」や「今を生きることの大切さ」を体感させてもらったことが私を大きく変えていきました。

次第に”このままでは私がここにいる価値なんてない、何か自分にもできることがあるはずだ!”と思うようになり、歌舞伎三味線をやっている友達と一緒にじいちゃんばあちゃんの前で三味線を披露したり、蝶ネクタイ作家の友達と一緒にじいちゃんばあちゃんと裁縫をしたり、「釣りに行きたい」と言う左半身麻痺のじいちゃんの家族たちと一緒に熱海に釣りに行ったりと兎に角、自分にできることを行動に移していきました。三味線を披露した時、誇らしげに私の名前を呼んで応援してくれたじいちゃん、生き生きと生地を選び裁縫をし始めるばあちゃん、普段は寝てばかりいるのに熱海に行く道中は運転する娘さんにずっと声をかけて見守るじいちゃん。

そんな反応をこの目で見た時、初めてこの仕事のやりがいを感じました。やっぱり私たちの仕事は、大変だと言われているような仕事だけではなかったのです。

介護福祉士である私の今の仕事は、目の前にいる人の「〜したい」を叶え、「人生の最終章」を豊かにデザインすること。また、「介護」が原因で薄くなってしまった「家族」の時間を創ることです。

今日この日曜日という日を、あなたがあなたの家族と一緒に過ごしているのと同じように、私の職場にいるじいちゃんやばあちゃんにも、「家族」がいて、介護が必要になるまでに歩んできた「人生」があるという当たり前の事実を私は決して忘れません。

「私にとって介護とは、一緒に生きること。」
特別養護老人ホームにいるじいちゃんばあちゃんは、ほぼ24時間365日をここで過ごします。「そんなに一緒にいたらお互いにストレスが溜まって仕方ないよ!」って声が聞こえてきそうですが、私はこの3年近く毎日のように通っていたら、職場が家のように変わり、今や群馬の祖父母の元に帰るように「じいちゃんばあちゃん元気?」って言いながら出勤しています。
職場にいるじいちゃんばあちゃんも、私のことを見ると「太った?」「髪切ったの?」「ここに居ない間はなにしてたんだ?」と、家族のように声を掛けてくれます。今や、3Kなんて言葉を忘れるくらいにかなりカジュアルに、楽しく働けていると思います。
今でも忘れられない爆笑エピソードは、ある朝、早番の勤務で私が眠い目をこすりながら出勤してじいちゃんを起こし、いつものように洗面台の鏡の前で整容をしようとした時、そのじいちゃんと全くおんなじタイミングであくびをしたこと。ww
お互いに指を指し、目を見合わせてガハハアハハ笑い合ってる間、「あぁ、”一緒に生きてる。”」そう思えたのです。
そこには「職員と入居者」といった立場はもう関係ありませんでした。

「私がウブマグを通じて発信していきたいこと」
私はこの3年近くの「介護」を通じて、自分の人生を豊かにしてくれるたくさんの「人」に出会いました。今や20〜94歳までの飲み友達がいます。最高です。w

ふざけているようですが、私にとって「介護」とは「人と出会うためのツール」に過ぎません。今後も介護福祉士として、世界中のじいちゃんばあちゃんとその家族に出会いに行くつもりです。
決して、自分自身が「介護」にやられてしまうことなく、カジュアルに働く医療介護従事者を増やすために。そして「介護」で悩み苦しむ家族を1人でもなくすために。この記事が、将来介護をする・介護を受けることになるみなさま「1人ひとりにとっての介護」に触れるきっかけになれたら幸いです。

また、プロフィールにも書いた通り「認知症ONLINE」でも記事を書いています。
そこでは認知症の症状のある人との関わり方のコツを専門職として真面目に向き合う姿を記事に残していますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

次回の更新日、4月1日には早くも新年度がスタートしますね。就職時のエピソードや今後のキャリア戦略についても書いていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします♪

Text by : 川上はるな

旅が好きな介護福祉士
介護現場のあらゆる問題解決のために、世界中を飛び回る。

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