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『ハートの葉っぱとファンタジーガールズファッション』:ファンタジーガールのワンダーランド015

[連載] ファンタジーガールのワンダーランド015

あら❤︎
この葉っぱハートだわ❤︎

この写真は、Kaoちゃんが自分で撮影した、ハートの葉っぱの写真です❤︎

これも❤︎これも❤︎これも❤︎これも❤︎

Kaoちゃんの撮影❤︎
Kaoちゃんは、ハートの葉っぱを見つけるのが大好きなようです。

自閉症の人の中には、「『シンボル』や『記号』や『マーク』にとても興味を惹かれる。」と、言う人が多いのだそうです。あと、数字とか幾何学模様が好きな人もいる。道路標識のプロフェッショナル、車のナンバープレートの足し算や引き算、列車の路線と時刻表の暗記、などなど、数字や図形、シンボルに関わるようなことを追求して喜びを感じている人も多いのだそうです。
何故、そんなにシンボルや数字が好きなのかな?
その理由は、ご本人たちにしかわからないことかもしれません。

でも、よく考えてみたら、好きに理由は無い❤︎好きなものは、好きだよ❤︎

Kaoちゃんにも、自分の『好き』に自信を持ってほしい。
そして、人間は、自分の『好き』と他者の『好き』をお互いに認め合って生きていける事が大事ですよね。

さてさて。
Kaoちゃんは、とっても、乙女でオシャレ好きです❤︎毎日、髪の毛をお気に入りのオーガニックローズウォーターでスプレーして、さらさらにクシでとかしてから、お気に入りのヘアスタイルをリクエスト❤︎
お洋服は、カラフルだったり、柄が入っている物が好きです!特に赤やホットピンクなどのカラフルな暖色、あとハート柄には目がないみたいです。

ハートだらけw

コスメにも興味しんしんで、買い物に出かけると、よく化粧品コーナーのテスターを試しています(笑)
服は私が買っていますし、ベビーのころから割とカラフルな洋服を着せていたので、私がそういう洋服や習慣のチャンスを与えて来たと言うことも、少なからず影響はしているかもしれません。

それでも、Kaoちゃん自身に、ファッションへのこだわりもあって、気の乗らない服は、私が良かれと想い用意しても、なかなか着てくれないし、ヘアスタイルにも、とってもこだわる。休みの日には、ネイルをしたり、ヘアもクルクルしたりしますw

Kaoさん、お・ま・せ❤︎

私は、Kaoちゃんのそういうところは、最大に尊重してあげたい思いますし、私自身も女親として、Kaoちゃんのファッションを一緒に考えたりするのが、日々の楽しみであったりします❤︎

ファッションだって1つには自尊心の現れ。自分の好きなスタイルを持っていたり、自分らしさを追求したり、より美しい自分を演出するために努力をすることは、モチベーションの向上にも繋がる。
おしゃれを楽しむことは、すべての人に開かれた自己探求文化ではないでしょうか。『私って、可愛い❤︎ 私は、自分が好き❤︎』って思えることは、生きていく上でとても大切。

今日は、少し、自分のことを書いてみようと思います。実はコロボックルには、自分のことが大嫌いだった時期があります。

ここ10年くらいの間に、SNSとかが急速に普及して、ネット社会では、以前よりも遥かに膨大な情報がどんどん得られる時代になりました。色んな情報が溢れているので、『どんな人が存在しても不思議ではない。』と言うことが、だんだん世界に浸透してきていると思います。そう言う中で、もちろん今も、差別は形を変えながら根強くあるけれども、私が子供ころの差別は、今とは少し質の違う問題を抱えていたように思う。

14歳まで住んでいた地方の街では、家のそばに国道が通っていて、よくその国道沿いを歩いて出かけていました。
私が車イスで歩いていると、信号待ちをしている車の中の人たちの首が、私が歩くのに沿ってウェーヴのように横を向いていく(笑)人々の視線は、全て、幼かった私に注がれていくのです。きっと、単純に車イスの女の子が歩いているのを見るのは、珍しかったからでしょう。なんとも不思議なものを見るような、驚きの含まった、少し冷ややかな視線。みなさん、悪気はなかったと思いますが、そんな時、少し想像を巡らせていただけたら、とても嬉しかった。もし、自分がどこへ行っても、ただ普通に歩いているだけで、四六時中、みんなからジロジロと見らていたら、どんな気持ちになるでしょうか?物心付いた時には、それが子供心になんだか辛くて、私は国道を歩くのが、少し怖くなった。

今では、外を歩いていても、ちらほら見られるくらいで、みなさんにとってコロボックルも、そこまで珍しい存在ではないようです。それとも、私が鈍感になったのだけだったりして!?(笑)もう、私には、何者も見えていないのかしら❤︎(笑)むしろ、『私を見なさい!もっと注目して❤︎ もっと、かまって❤︎』と言わんばかりの今日この頃w

ハンディキャップのある人が、バスや電車を利用することも、だいぶ、当たり前の時代になりましたね。これは、多くの障がい者の方たちが長年に渡り、社会で生活しながら声を上げてくださってきた賜物だと思います。
私の幼少期は、地方ではまだ、バスや電車にも乗れない時代。
中高生ぐらいから、「こうすれば1人でもバスや電車にのることができるんだよ!」って言うことを聴いて、実際に自分が利用するようになったのは成人してからです。最初はバスや電車に乗るって、私にとって未知の領域だった。

当時はまだ駅にエレベーターがないことも多く、車イスで乗れるエスカレーターを利用するのが主流。私の場合、以前に書いたように大変に骨が弱く骨折を繰り返す病気の為、事故に遭えば、かなり危険です。
私の母は、「1人で電車なんか乗ったら、死んで帰って来ることになるわよ!!」と、私が電車に乗ることを心配して、ずっと反対してきました。

ですから、ある日、「お母さま、私、ちょっとそこのコンビニ行ってきます。」と出かけて行って、3時間後に電話して「あー、かーさん?実は、私、今、千葉にいるんす!!」って言ったら、母が「はぁ???!」って(笑)「彼氏が〜今、千葉の人なんす〜…」…「はぁ???!」って(笑)

それが、私が初めて1人で電車に乗った日のことです❤︎あっ、ちなみに、その彼氏さんは、現在の夫ちゃまですw

以来、以前は遠距離移動に必ず同行してくれていたはずの母が、さじを投げたように全く付いてきてくれなくなりました❤︎(笑)

そういう時代の流れがある中、私にとっては小学校や中学校でも、苦労は、なかなか絶えませんでした。
当時は、今よりも『人と違うことは、恥ずかしい事。悪い事。』というイメージや風潮が、すごくあったように思うし、『みんな違って、みんないい。』って言う、金子みすゞさんの言葉には、今以上に遠いイメージだった気がしています。

先天性骨形成不全症による頻繁な骨折で病床にいることが多かった私。幼稚園、保育園には1日も行けませんでした。
その為、6歳までは、とにかく自宅の庭で花を摘み、空を眺めながら日が暮れるまで過ごしていた幼き日。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を父に読んでもらったその日から、ひたすら水たまりに溺れたりした虫を助ける事を自分の使命として生きていました(笑)一日中、救助用の葉っぱの小舟を作ったり。口には常に、つつじの花をくわえている女の子でした…蜜の補給w

外との接点は、あまり多くありませんでした…聴くからになさそう…w
ある意味で、頭の中は、花畑パラダイス❤︎終わらない、ランデブー。

そして、やがて1年生に上がる歳が来ました❤︎義務教育ですw
義務でなかったら、どうしていたのかしら(笑)花畑パラダイスの少女が、ある日突然、地域の小学校の普通学級に通いだしたのです。さあ〜大変だw

なんと表現したら良いでしょうか。端的に言うと、その時の私にとって、何もかもが、自分の思っていた世界とは違ってしまっていたんです。6歳まで花畑パラダイスに住んでいたのに、ある日、それは『イケナイ事』だと言われたような気がした。『右の人を見て姿勢を正し、左の人を見て手本とし、それを当たり前だと思いなさい。』と。1日の中で、何をすべきかが、よくよくわかっている。でも、それをみんなと同じようにやる為には120%努力し続けていなければならなかった。その120%を維持する為には、花畑パラダイスに別れを告げて、一心不乱に目の前の出来事をこなして行く以外にはなくなってしまっていました。そうした中で気が付けば、『自分らしさ』はどこかへ消え去り、右と左ばかりが気になるようになった。だけど、どんなに右と左を見ても、何故か浮いてしまう少女コロボックル。

実際に、いじめもありました。

学校には、ほとんど行ったり、行かなかったり。1番ひどいときは、人前に立つと、失語症のようにしゃべれなくなり、しゃべりだすと涙がポロポロ出てしまうんです。それが10歳の時です。

思春期は、『無気力』、『閉鎖的』、『無愛想』の3M。あっ、ひとつは、Hか(笑)

『無気力』、『無解放』、『無愛想』の3Mです。

その頃、『自分は、車イスだからいじめられっ子なのかなぁ?』って思う部分もあったけれど、後々、それ以上に、本当の原因は『人格の問題が大』だと気付いた(笑)

そう見えても、そう見えなくても、今でも私の思考回路は、花畑パラダイスのままだと思うんです。どんな事をしていても、どんな人と過ごしていても、なんとも内側から滲み出て溢れ出してしまう、コロボックルオーラw 別名『KY』(笑)それをひた隠す為に自分を殺し、殺しているのに隠れていない悪循環w
一時は、『もうダメだ。もう終わる。もう終わったんだ。』の3Mへ陥っていたボロボロの私でしたが、そんな私も音楽を志すことで、また、次第に3MからKYへと復帰していったという経験があります❤︎(笑)
音楽は内発の世界から外に向かって、自分自身を開いて行く作業です。自分自身の小さな殻を破り、誰かの為に奏でるからこそ、音楽も人生も色鮮やかに逞しく育っていくものです。

私は、今の自分が大好きです。もちろん、時には、迷いますが…、いえ、日々、自問自答ですが、それでも自分のことが『好きだ』と、胸を張って今は言える。良くも悪くも治らない私の花畑パラダイス思考が無かったら、私は本当に今日1日を真剣に生きていられないし、Kaoちゃんとのワンダーランドの日々もこんなに充実した日々にはできなかったでしょう。

人と違わなければ、困る。
みんな同じなんて、怖い(笑)よく考えたら、そうでしょ??w

とはいえ、誰にとっても、現実を生きる事は、とても平凡で地道なことの繰り返しです。
私は、車イスでエベレスト登頂は目指せなくても、自分の自宅の小さな台所で今日も明日も、小山のよに盛られた野菜炒めやらなんやらを自分の力で自分のやり方で家族のために作る。それを最高の誇りとして、自分自身の人生の山を登り続けていること。それを心の底から幸せに感じられるのかどうかをずっと心の中の目標にして来ました。

目の前にある世界を自分らしく塗り替え、自分の成せることを自分らしく、やり遂げられるのかどうか。ある意味に置いて、私たちの生きる闘いは、エベレストよりも気高いかもしれない。

…っと言うことで、私は自分自身の経験を通しても、Kaoちゃんには、永遠不滅のファンタジーガールズファッションを自ら産み出し、貫く姿勢を大切にしてほしいと強く思っています。
それは、外見だけではなく、生き方も含めたファッションという心のシンボルのことです。

お気付きだと思いますが、私は、Kaoちゃんの写真を撮るのが趣味で、大好きです。
もともと、風景写真を撮るのが好きだったけど、かおちゃんが生まれてからは、かおちゃんばかり撮ってますw

本当に楽しいとき。本当に嬉しいとき。本当に心を開いてくれてる瞬間。

天使みたいな微笑みです。

例の如く、親バカですけど(笑)私にとって、『天使』としか言えません。

私自身、難病で生まれ、これまでを生きてきた中で、いつも、大切だと感じてきた事は、『病が、すでに病ではなく使命だと感じる瞬間。』を大いに羽ばたいていくことです。

自分にしかない生き方があるはずなんだ。自分だけの物語を生きるんだ。

これから先、生きて行く中で、Kaoちゃんにも色んな時代が訪れるでしょう。
それでも、いつまでも、ハートの葉っぱを愛する、優愛に満ち溢れた可愛いKaoちゃんで。そして、それを仮に見失うような悲しいことがあっても、また、ここに帰って来てくれる、強い心で。
人生にも、社会にも、自分らしく立ち向かっていってほしい。

あなたは、あなたの好きな『ハートの葉っぱ』であることです。どんなに環境が変わり、人が変わり、時代が変わっても、『ハートの葉っぱは、ハートの葉っぱ。他の形にはなれないし、他の花も咲かない。だから、自分らしく、自分だけの道を行けばいい。そして、他者を認めるハートの葉っぱの心も忘れずに。』

つらぬけ!!ファンタジーガールズファッション❤︎

Text by : Aki
姉妹デュオグループSAKURANBOで活動中のシンガーソングライター
ワンダーランドで就業中の車イスUserママ(先天性骨形成不全症)
https://www.facebook.com/sakuranbo.music.info/

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