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難病母さんの北海道DIARY~「森のほとりの小さな家より」 #02 夢を抱きしめて、こっちへ行こう

#02 夢を抱きしめて、こっちへ行こう

こんにちは。

わが家はいま雪でおおわれ、純白の世界に包まれています。

原因不明の病気持ち身体障がいありの私ですが、
ようやく医療判断も安定し、
憧れのウブマグデビューも果たして、
「よし、これから!」と思っていた昨年12月…。

呼吸低下を伴う硬直と痙攣様の発作で救急搬送される事態になったのをキッカケに、
生きかたの見直しをしていました。

真っ白の雪の中からの再スタートです。

普段の通院先は「脳神経の症状を内科的に診て下さる神経内科です。

謎な発作は神経症状らしいのですが、対応も難しいため、
ずっと発作が人目につかない様に暮らしていました。

…なんて書くと、ひっそりと暮らしている様ですが、
どんどんお出かけも行っていましたし、こんな風に症状のこともオープンです。

私は激しく突っ張る前に、足がつったときにソックリな痛みが腰から太腿に走ります。
それを合図に横になって休んで「寝て」しまえば、
不思議と脳がリセットされて落ち着いてしまいます。

「私お昼寝中です」風に顔に帽子をひっかければ困っている様には見えません。
家ではベットに行けば良いし、街には疲れてお昼寝中の方は案外いるので紛れてしまえば大丈夫!
 
 
 
… 本当はそんな簡単なものではありません。
全身ギューっと突っ張り、激痛の中で身動きも出来ず、
息も絶えだえの発作中…心の中では

『もームリ!』『ギャー、たすけて〜』

と叫んでいます。
血液中の酸素濃度が下がって酸欠で気絶するまでひたすら我慢です。
本当は助けてほしい。楽になりたい。

ですが方法が無い以上、
「何て事ないよ」と装って楽しむのが私の生きる術!

スターウォーズを見ながらキャラクターと共に苦痛を味わうリアルな?
体験をしたけれど、内容が分からなかったので、2回目を見に行ったり…
どうせ2回見るなら3Dにしたけれど、
あんまり飛び出して見えないなあ…と思ったら、今度は眼鏡を逆さにかけていて…

2回も映画館に連れて行ってくれた夫よ…ボケた妻でごめんなさい。

もう6年、こんな風に発作と向き合ってきましたが、このところガクンと歩きにくくなっていて、
「ああ具合悪くなるぞ〜」な突っ張る身体を引きずって、ベットまで伝い歩きをするのが難しくなってきていました。
 
 
 
わが家は玄関もないオープンハウス。
クロネコヤマトの配達員さんが見つけて下さって、119番通報…。
救急隊がいらした時は、酸素飽和濃度80%弱(正常は96%以上)
ときおり不随意運動を出しつつ応答も困難、
唾液も飲めずに口から泡を吹く…意識はあったものの、見た目はまさに意識不明の緊急事態!

救急隊の方は必死に問い合わせるも、どこからも断られている様子です。

常に身近に置いているカバンに入れた複数箇所の通院先の診察券や情報も役に立たず、
「そこもダメよぉ〜自分とこじゃ薬出してるだけだって突っぱねられたんだぁ」「そっちも責任持てないってよ…」
耳から入る言葉をまざまざと聞きながら、

『今まで私、自分で対処出来るとおごっていました…ごめんなさい、ごめんなさい』

と救急隊にお詫びをしました。
 
 
 
 
そのとき決心しました。

横になれる車椅子で暮らそう…って。
 
 
 
 
床で倒れるのは、本当はとっくに何度も経験済みでした。
ずーっと座っている力も無いので、病院の車椅子から床に滑り落ちた事もあります。
なのに私は、そうした出来事は「たまたま」「ちょっと失敗しただけ」にしてきました。

安全をないがしろにして…結局どうにもならず人に迷惑をかけて。なんていう意地っ張りだったんだろ?バカみたい。

障がいの受容…って難しいです。

どこまでが甘えで、どこからが受容か。
どこまで治る?克服出来る?

もともと
「痙性麻痺(突っ張りの強い麻痺)の人は、立たせようと思えば立てるし、歩かせられる」
と先生に言われた事があるように、急に脳梗塞で麻痺が起きた訳では無い私は、
だんだん進む症状に合わせた身体の使い方を学んでいただけで、
とっくに普通に歩いているわけでは無かったみたいです。
 
でも、コンビニ一周くらいは歩ける。
これって歩ける?歩けない?どっち?
 
私は「歩ける」だと思います。
 
片手で支えつつでも大地に座って、庭仕事ができる。
大地の温度と香りが季節を伝えてくれるのを、じかに感じるのが大好き。
だから、一気に歩けなくてかまわない。
歩けなくなったらその場で転がって暮らしていきたいな…
 
 
 
いまでも、同じ気持ちです。

 
 

でも、行きたい場所まで歩けなかったり、
着いてもヘロヘロだったりで、だんだん活動範囲も狭くなっていました。
あげくに体力切れでご迷惑をかけていたんじゃ自立に程遠い…
もっと肩の力をぬいて、今の自分が安全でイキイキ生きれる方法を探そう!

私がこの土地を探し当てたのは息子がヨチヨチ歩きの頃でした。

息子は生まれた時から全く寝ないで夜泣きばかり。
掃除機やドライヤーなどをはじめ、音に過剰に敏感で、
起きていても気難しくて育てにくい子だった息子は
10カ月で歩き出したとたん、常時走り回るようになりました。
 
服も嫌いでオムツ一丁!お腹も出したままですから金太郎もビックリです。
止めようものならけたたましく泣く息子を抱いて、よっしゃ!と決心しました。
 
「常識に囚われず、思いっきり走り回れるところで暮らそう!」

わたしが子どもの頃に冒険して遊んだような、自然あふれる野山へ!

山の土地はタダ同然ですから、家を建てようにも担保にしてお金を借りることは出来ません。
資金不足は知恵で補おうと、冬の間じゅう建築の本を借り漁り、建築資材も調べました。
 
一番高いのはコンクリートかあ…あとは建具(扉)。
間仕切りが無い方が資材も要らない。
コンクリートの玄関タタキのある日本の家はやめて
オールフラットにしてベランダから出入りしよう…
安上がり建築を徹底研究。

凝りに凝ったら楽しくて、未だにうんちくを語り出したら止まりません。
調べに調べて数百万の手持ち資金で家が建つ!

よーし実現可能だぁ〜と気合いが入った春。
今の土地に出会いました。

コブシの花も咲く前の、雪解け水が残る野原にそよ風渡る気持ち良い早春でした。
当時は車の運転も出来ないのに公共交通機関も無いこの土地が、
自分たちの生きる場所にぴったりに思えました。
ワクワクばかりで不安はちっともありませんでした。

不思議ですね。

その頃一生懸命調べたリーズナブルな家は、
視線を変えたら車椅子生活にピッタリです。
上がりがまちも間仕切りも無いんですから。

あのとき息子が今の息子のまま、のびのび生きれるようにと願ったように、
今度は自分で自分を自由にしてみよう。

今ってハイテクな時代だよね…?
デコボコ坂道も行けて、せまい庭の小道や家の中でも使える車椅子を探そうよ。
行きたい場所まで行ったら車椅子から降りて、かたわらで過ごせばいい。
疲れたらすぐゆっくり横になって空を見あげよう。
今の自分のまま、安全に活動範囲を広げよう。

救急の受け入れをして下さったのは、
北海道の難病医療の最先端におられる先生でした。

ご縁があることに甘えてお名前を指定させていただいたら快くOKいただき、
いまの四肢体幹障がいの状況に合わせた身体障がい者手帳の申請のお力になって下さっています。
車イスと、家へのスロープ、車イスの積める車…
出費はいくらあっても足りないし…現状、介護の必要性も上がっています。

原因不明なので証明は難航中です。

でも
「状態は分かっているから、安心して待っていてね!」
…親しみを込めて肩をトン!

利用していたヘルパー事業所さんは話しを聞くや、
介助式のリクライニング車イスを貸してくれて、すでに家で使っています。

「もっと早く気が付いてあげれば良かったね」

…ううん。本当は私が歩ける、歩けると言っていたから、
きっと尊重して「疲れたら無理せず車イスを使って」と言わなかっただけ。
 
ちょっとだけ違う方向を向いたとき、あたたかな人の手がありました。
いくら感謝しても足りません。
 

 
ウブマグにはじめて出会ったときコピーに心をつかまれました。

「さあ、どっちか分からないそっちへ行こう」

原因不明の私は先の見通しがありません。
どっちか分からないそっちへ行こうとしています。

どっちか分からないそっちへ行くなら、
自由に動ける夢を抱きしめて、こっちへ行こう!と思います。
 

 

Text and illustrations by : 山崎 亮子

2012年より、原因不明の病によって身体が不自由に。それでも大自然に包まれていたいと、開発跡地で手がけたナチュラルな庭や森を作り続けています。発達障がいの息子はいまや立派なパートナー!