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DJ NOAH VADER:My Music life 019 Bille Holiday – “All Or Nothing At All”

My Music Life 019

皆さんこんにちは。

ライス兄弟の弟、ここ数年クリスマスらしいことを全くしていない方のノアです。まぁ兄もなんですが。
ここ数年はって言っても昔から物心ついた頃からサンタ否定派だったんです。
だってうちの父が、小太りの西洋人って事で、クリスマスシーズンになると近所の幼稚園や小学校に駆り出されて、ボランティアサンタをやってるのを見てたので、超スムーズに「サンタ=ウチの親父」という方程式が完成されたんですもの。

親父がサンタになって近所で子どもたちの笑顔を引き出してたこと自体は自慢出来るんですが、なにぶん自宅でサンタ服を着た後自転車で目的地まで行くので、夢もへったくれもない。

僕が小学生から中学生の間、街中では「クリスマスになるとサンタが息を切らして自転車乗ってる」という噂が流れたとか流れてないとか…。

さて、ここまで散々クリスマスシーズンらしいネタでお送りしていましたが、本編はクリスマスも大晦日も正月も全くありません。

前回に引き続き、夢も希望もへったくれもない、音楽と薬物のお話シリーズの続編をお送りいたします。

むしろ前回が導入編で、今回が本編。

今回ご紹介するのも、前回同様にジャズ界の偉人であるビリー・ホリデー。

彼女の、成功と絶望に満ちた人生を振り返りながら、薬物中毒に関するお話をしていきたいと思います。

まずは、ビリー・ホリデーとは誰かをよく表す一曲から。

Bille Holiday – “All Or Nothing At All”

エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンと並んで三大女性ジャズボーカリストと謳われるほどなので、ジャズファンにとっては愚問ですが、この記事を読んでいただいてる方の中には、ジャズとは無縁な方も多いので、彼女の数奇な人生から書いていきましょう。

ビリー・ホリデーは、1915年にアメリカの東海岸の大都市フィラデルフィアで生まれました。
しかし、父親から認知をされず、その上虐待を受けて、養護施設に入れられます。退所した後も、一旦売春宿の主人の所で雑用係として働いて、その後母親に連れていかれて母子共々娼館で働かされることとなりました。
そしてビリーが14歳の時、放浪罪で保護されて矯正施設に入れられます。

退所した後、ビリーはニューヨークのハーレムのある安酒場で、レコードを聴き惚れたベッシー・スミスの真似をしながら、歌うようになります。

そして、そこで出会った音楽プロデューサーの目に留まり、早速、“Sing Sing Sing”で有名なベニーグットマンと共同で楽曲を発表することになります。
しかし、そこではまだ彼女の良さは出ていなく、1年間の空白期間がありました。

その充電期間を経て、再活動を始めた彼女は先述のプロデューサーの売り込みの甲斐あって花を開き、後に名曲と呼ばれる楽曲を次々と世に送り出していきます。

ところが、ビリーがどれだけ良い歌声を持っていても、彼女は黒人。当時のアメリカはまだ黒人公民権運動の機運が高まるずっと前で、黒人に対する差別も露骨なものでした。
ビリーは、黒人歌手で始めて白人のオーケストラと共演した人と言われているようですが、それでも客から罵られたり、ある時は、ホテルでコンサートを開催する時に「貴方は裏口から入ってくれ」と言われたと言います。

そんな時、ビリーはある教師との出会いを通じて彼女の代名詞とも言える一曲との巡り合わせを果たします。
“Strange fruit”です。

この曲の冒頭部分を和訳すると以下のようになります。

南部の木は、奇妙な実を付ける
葉は血を流れ、根には血が滴る
黒い体は南部の風に揺れる
奇妙な果実がポプラの木々に垂れている

勘の良い方はお分かりになるでしょうが、当時アメリカ南部での黒人差別はそれはもう言葉では言い表せないほど、卑劣で残酷なもので、黒人が白人に集団リンチされる事件が多発していました。それが当たり前だったんです。

その現場を歌によって訴えかける、そんな一曲となります。

あまりの歌詞の衝撃的さにビリーが所属していたコロンビアレコードは発売を拒否、マイナーレーベルから発売しても、世の中では賛否で別れました。
しかし、ビリーのライブに足を運びこの曲を聴いた人は、男女問わず皆押し黙り、ただ涙したといいます。

そんな、自身の代表曲を生み出したビリーでしたが、プライベートはめちゃくちゃでした。

出会うパートナーは皆、クズ男ばかり。
彼女が最初に結婚した男は、薬物をカルフォルニアに持ち込んだ罪で投獄。
ビリー自身も以前からマリファナを常習的に使用していましたが、こんな夫によりビリーは新たにアヘン、ヘロインにも手を出してしまいます。

ビリーの生活はどんどん崩れていきます。いくらかの有名なルイ・アームストロングと一緒に映画に出演しようが、大ヒット曲を発表しょうが、薬物によって彼女の精神はどん底へ引きずりこまれていきます。

1947年、ヘロイン所持の罪で1年間投獄された後、刑務所生活により、一時的に浄化されて歌手としての名声を取り戻し、ビリーは2人目の夫と結婚したものの、最初こそ仲は良けれど次第に喧嘩の絶えない日々が続き、心的ストレスにより、再び心の拠り所をドラッグに求め始めてしまいます。

Metronome誌による1949年の年間ベスト女性シンガーに選出されるという名誉の裏で、彼女の体は蝕まれて、そのドラッグの依存度はあまりにも高く自分が誰なのかも分からなくなるほどのものでした。

そしてドラッグと飼っていた犬1匹しか心の拠り所が無くなっていた彼女に更なる追い討ちをかけるが如く、彼女の大親友だったレスター・ヤングが亡くなります。その事をきっかけに、ついに彼女のドラッグ使用は彼女を病院に入れなければならないほど重度のものとなりました。

ドラッグ使用者である事を理由に病院にたらい回しにされて、ようやく入院出来た病院でも彼女はドラッグを使用。それを見つけた看護師によって通報されて、1959年7月17日、逮捕されたまま亡くなります。

彼女も、前回のチェット・ベイカー同様に、筆舌に尽くしがたいほどの才能を発揮しながらも、ドラッグによって、人生は白く塗り潰されてしまったのです。

上に書いたビリーの人生を読んだ時、皆さんの中でどういった感情、思いが芽生えたでしょうか?
同情でしょうか?それとも「幾度となくドラッグに手を出すなんて、なんと弱い人なんだ」という軽蔑の感情でしょうか?

先日ドラマの「相棒」で自称「シャブ山シャブ子」と名乗って凶暴性を全面に押し出して描写された人物が登場して、当事者団体や支援者団体などから、「誇張して描かれており、ステレオタイプによる描写は、偏見を助長する」と抗議が起こったのは、皆さんの記憶にも新しい事だと思います。

そして、その抗議に対して、一部のネットユーザーから「薬物中毒者達は危険であり、これくらい描写しておいた方が使用の抑止になるから、誇張は歓迎すべき」といった意見も現れる始末だったのです。

私も使用の抑止の為に何らかの手立てを講じること自体には異論はありません。しかし、メディアによって流れたこのイメージが、世の中の一般市民、そして当事者の方々に対してどのように映るかを考えた時、真っ先に浮かぶのは、「薬物使用者」に対する「恐怖」であり、実際今回もネットでは「この人怖すぎる」と、対象が薬物自体ではなく、それによって狂わされた「人」に向けられました。

そして、次に出てくるのは、「じゃあ使用するのが悪い」という批判です。

では、なぜ薬物使用者は薬物にハマるのでしょうか。
ある有名な「ネズミの楽園」という実験をご紹介します。

この実験の内容はこういうものでした。

ネズミをある2つのグループに分けます。
1つはネズミがひとりぼっちで金網のケージの中に入れられたグループ。もう1つは、広々とした空間にオスメス両方でたくさんのネズミ(楽園ネズミ)がいるグループ。
しかも楽園ネズミのいる環境として、いつでもエサが食べれて、隠れたり遊んだりする箱なども用意されてネズミ同士の交流が起こりやすいまさに至れり尽くせりでした。

実験中、両方のグループにモルヒネの入った水が用意されました。2ヶ月弱経った後、結果はこうなります。
楽園ネズミのグループは、モルヒネ水に見向きもしなかったのです。
しかし一方で、ひとりぼっちのネズミはモルヒネ水を飲み毎日のように一日中酩酊状態でした。

動物実験の善し悪しは置いといて、この実験から学べる事は大きいはずです。
それは、他者(この場合他ネズミ)との交流があれば、薬物には手を出さないのです。
そして、もう一方のひとりぼっちのネズミはヤク漬けになった。

自殺予防の観点でも、社会関係の濃密さがあるか無いかがとても重要とされて、社会関係が希薄であればあるほど、頼れる人も悩みを話せる人もおらず、ストレスの全てを自分1人で背負い込む為、心が追い詰められていく。

パワハラのケースでは、人はいる(ていうか人によって引き起こされる)けど、その人は悩みなんて相談できる相手では無いから、追い詰められる。そこに関係なんてない。

ビリーも同じでした。
唯一頼れた親友はいたものの、夫は2人とも自分の味方ではなかった。黒人差別の煽りを受けて、お客から罵声を浴びて、ホテルからは理不尽な事を言われる。音楽で成功したとしても、本当にビリー本人の気持ちに寄り添い悩みを打ち明け合えるわけでもない取り巻きが増えることで、社会関係の平均値は下がる。成功の裏にはそれ相応のストレスもあったことでしょう。

そして極め付けの、生まれ育った家庭環境。

こうした全てのしんどい環境が彼女を追い詰めて、薬物使用に走らせたのではないのでしょうか?

生れながら薬物中毒になるべくしてなった人などいないのです。
その人の周りの何かがおかしかったんです。
なので、皆がその落とし穴にはまる危険があるのです。そして一度ハマればなかなか抜け出さない。
だから、薬物は危険なんです。

南青山の児童相談所建設反対運動が連日ニュースで取り上げられていますが、これもまさに「自分とは違う世界の人間が来る」と考えているからこそのものではないでしょうか。
そして、それに対する真理も、上記の通りです。例外なんてない。

ビリーは人気の絶頂にいた中で、こんな歌を歌っていました。

Billie Holiday – “Solitude”

Solitude。孤独。あまりにも美しい歌声で、あまりにも悲しい響きです。

第1回目でご紹介したニーナ・シモンと同じく、ビリー・ホリデーもまさにディーバでした。
幾度となく、「ビリーの再来」と銘打った歌手が現れては彼女を超えられないまま、去っていきました。
しかし、いくら最優秀歌手に選ばれようとも、カーネギーホールを聴衆で満員にしようとも、孤独には勝てなかったのでした。

多分この記事を全て通して読んだ方のテンションはきっと、めちゃくちゃ低くなっていることでしょう。
まさに冒頭に書いたように、クリスマスも正月のめでたさのかけらもない、どん底。

しかし、そこから薬物中毒について少しでも「我がこと」に近づけて考えていただけるきっかけになれば幸いです。

この記事が2018年の最後の記事となるのもどうかと思いましたが、せっかくなら意義のあるものを書こうと思った次第です。

来年はもう少し、このウブマグ の「エンターテイメント」に合った内容にしようかな。いや、やめとこう。

というわけで、今年一年NOAH VADERの記事をお読みいただいてありがとうございました。

また来年お会いしましょう!

それでは、良い音楽生活&良いお年を!

Text by : ライス趙 ノア