三代達也 190cmから130cmの視界へ。「一度死んだ男」の挑戦。
観光客で賑わう秋葉原。
待ち合わせ場所にいたのは
ちょっぴりやんちゃな感じもするような
「どこにでもいる」可愛らしい笑顔の青年!
彼のどこが変わっているかと聞かれても、
強いて言うなれば
車椅子に乗っていることくらいで
本当に、見れば見るほど
良い意味で「どこにでもいる若者」です。
でも彼、あることを成し遂げたことで、
今、ちょっとした有名人。
実はこの青年「TATSUYA MIYO」は
車椅子で単独世界一周に挑んだ男なのです。
18歳の青年を襲った突然の事故。
無気力だった彼を救ったものとは。
ウブマグ
よろしくお願いします!まずは年齢、職業、プラスの何かをどうぞ!
MIYOさん
三代達也と言います。茨城県日立市生まれ。1988年生まれ。
実は立ったら身長190cm。今は車椅子ユーザーです!
実は立ったら身長190cm。今は車椅子ユーザーです!
ウブマグ
背、めっちゃ大きいんですね。そう言われてみれば、体、車椅子からはみ出ている気がします。MIYOさんはいつから車椅子ユーザーなんでしたっけ?
MIYOさん
18歳と5日からですね!
ウブマグ
細かい!!!
MIYOさん
誕生日の5日後だったので(笑)
仕事の帰り道にバイクに乗っていたら事故にあって。歯が折れたり、ふくらはぎがはげたり。しまいには頚椎を損傷して、車椅子での生活になりました。
仕事の帰り道にバイクに乗っていたら事故にあって。歯が折れたり、ふくらはぎがはげたり。しまいには頚椎を損傷して、車椅子での生活になりました。
ウブマグ
大きな事故だったんですね。
MIYOさん
そうなんです。最初は寝たきりだったのが、リハビリである程度動けるようにはなったんだけど、やっぱりなかなか自分の中で受け入れられないことが多かったですね。だって、今まで当たり前にできてたことが、もう一生できないんです。190cmあった視界が、車椅子に乗って一気に130cmくらいになったんですけど、なんていうかもう悪い夢のようで。全く実感なかったですし、実感湧いてからの葛藤もすごかったですね。
ウブマグ
そこからどんな風に、心情の変化があったんですか?
MIYOさん
車椅子生活を余儀なくされてからは無気力状態で、ほとんど自分から何もしないっていう状態がしばらく続いたんですけど。偶然病室で一緒になった、今となっては人生の「師匠」と呼んでいる人から「なんでもいいからまず行動してみろ」っていうことを教わって。この「まず行動」っていうのが、後の僕の人生を大きく変えました。
ウブマグ
人生の師匠!よっぽどMIYOさんのことを気にかけていてくれたのですね!
MIYOさん
もちろん、最初は素直に聞けなかったんですけどね。でも、徐々にその人の言葉が効いてきて。人に頼りっきりだった生活から、まずは一人で実家に帰ってみたり、東京で一人暮らしを始めてみたり、車椅子バスケを始めてみたり、仕事を始めてみたり。小さなことの積み重ねだけど、どんどん自分から動けるようになりました。
MIYOさんが世界で感じた
「街のバリア」と「人のバリアフリー」。
ウブマグ
その感覚がそのまま「世界一周」に繋がっていったんですね!
MIYOさん
最初は当時の同僚の「海外とか行ってみたら?」っていうひょんな提案に、勢いで乗ってしまったんですけど。
ウブマグ
それでいきなり世界一周に?
MIYOさん
最初は軽く、ハワイに行ったんです。でもこれが、すっっっっっっごくつまんなくて。日本人ばっかり、カップル、家族連ればっかりで、退屈でした。
ウブマグ
MIYOには生ぬるすぎた、と。笑
MIYOさん
でも、そのおかげで(?)退屈すぎて早く寝ちゃったから、夜中に目が覚めちゃったんですよね。夜のハワイは危ないよっていうことはもともと聞いていたんだけど、事故してから「どうせ俺、一回死んでるし」っていう感覚が常にあって。その時も、もういいや!って思って街に繰り出したんです。
ウブマグ
事故をきっかけにフットワーク軽くなってる!!!
MIYOさん
そしたら、本当に昼の景色とまるで違う世界で。娼婦とか、ホームレスとかもいっぱいいて。しかもみんなすごい話しかけてくるの。でも逆に、それに衝撃受けちゃったんです。みんなある意味全く偏見なく話しかけてくるから、なんだか新鮮で。
MIYOさん
そのままバーにたどり着いたんですけど、やっぱりそこでも話しかけてくれる人がいて、最終的には何人かの仲間たちと踊ったりなんかして。別に何を言われたわけじゃないんですけど、すごく救われた気持ちになったんですよね。「お前はそのままでいい」って言われてる気がして。上手く言えないんですけど、その瞬間にすごく揺り動かされて、もっと世界を見たいって思うようになりました。
ウブマグ
夜のユニバーサル!
MIYOさん
なんか、語弊があるような気がします。
ウブマグ
(笑)
MIYOさん
そこからはもうすごい勢いですよね。すぐ会社を辞めて、今度はアメリカ本土に行って。やっぱりそれでも飽き足らず、世界一周に繰り出すことにしました。
ウブマグ
またすごい行動力と勇気ですね。
MIYOさん
まあ、元からあまり先のことは考えないタイプだったのと、それに加えてやっぱり「一回死んじゃってる」んで。
ウブマグ
23カ国42都市回られたということで、ご自身のSNSやブログにその都市その都市での出来事を書かれていますね。
MIYOさん
そうなんです。世界のバリアフリー情報はもちろん、
MIYOさん
タイとインドでは病院に搬送されたり。
MIYOさん
モアイ像に紛れてみたり。
MIYOさん
フランス人美女とデートしたり(笑)
MIYOさん
色々と自由に書かせてもらっています!
ウブマグ
MIYOさんの飾らない文章や写真から、「旅の温度感」が伝わってきます。
MIYOさん
道や施設のバリアについても色々見ましたが、やっぱり一番は「人」でした。タイなんか、道や施設はバリアだらけでしたけど、人がバリアフリーだったので、すごくいい思い出として残っていますもん!やっぱりその辺は、実際に当事者が行かなきゃわからなかったことなので。より多くの人にシェアしたいなと思ってます。
ウブマグ
「発信」の話でいうと、帰国してからも、イベントに講演会に、引っ張りだこなようですね!
MIYOさん
本当にありがたいことに!貴重な経験をさせてもらっています。
ある講演では、昨年脊髄損傷になったおじいちゃんとその奥さんが来てくれたんですけど、僕の講演を聴きながらすごく泣いていて。「MIYOさんの話を聞いていたら、私たちも大丈夫な気がした。」って言ってくれたんです。自分が思っていた以上に、自分の行動が人の勇気になってる、そのことが僕自身嬉しくて。
ある講演では、昨年脊髄損傷になったおじいちゃんとその奥さんが来てくれたんですけど、僕の講演を聴きながらすごく泣いていて。「MIYOさんの話を聞いていたら、私たちも大丈夫な気がした。」って言ってくれたんです。自分が思っていた以上に、自分の行動が人の勇気になってる、そのことが僕自身嬉しくて。
MIYOさん
さらには最初は障がいを持っていたり、車椅子ユーザーだったりの人たちの勇気になればいいなと思ってたけど、帰国して講演会をしたりすることで、健常の人からもメッセージがもらえるようになったので、そのことにも驚いています。
ウブマグ
障がい者とか健常者とか関係なく、MIYOくんの行動する力に勇気をもらえる方はたくさんいると思います!
自身の経験をもとに人々の背中を押す、
「モチベーショナルスピーカー」としての生き方。
ウブマグ
MIYOくんが自分の経験を元に、世間に伝えたいことは何でしょうか?
MIYOさん
そうですね。やっぱり「まずは行動を起こすこと」で人生が拓けるきっかけやチャンスになるんだっていうこと。一回こっきりの人生だから、怖がらずにやりたいことをやって欲しいっていうのを、僕の行き方を通して多くの人に知ってもらいたいなって思っています。
ウブマグ
帰国して半年経ちますが、何かこれからのビジョンは何かありますか?
MIYOさん
うーん、それはあんまりないんです!その瞬間その瞬間で生きてるから。
MIYOさん
でも、旅を続けたいなってのは一つありますね。世界一周と言っても、行けてない国はまだまだありますし。実は今回まだアフリカに行けてないから、次は必ずアフリカに行きたいですね!
ウブマグ
健常者にとってもなかなかハードル高い地域ですが、もう今のMIYOさんにはそんなの関係ないですね!アフリカレポ、今から楽しみです!
MIYOさん
あとは、前回は、言ってしまえば「ただ行っただけ」ですけど、次は「僕だから伝えられる情報」を集めに行きたいです。例えば、旅にハマったきっかけはハワイの夜の街だったから。そういう「遊び」の部分のユニバーサル情報も集めていけたら。僕が感じた「楽しい」発信することで、誰かにワクワクを感じてもらえたり、一歩行動するきっかけにしてもらえたら嬉しいな。
ウブマグ
障がい当事者の方も、思うがままに遊べる世界になって欲しいですよね!
MIYOさん
そして、発信の部分もこれからはどんどん積極的にやっていきたいです。僕、頭がいい訳じゃないんで偉そうなことは何も言えないんですけど、逆にそれがリアルというか、聞いている人たちに身近に感じてもらえるようで。
▲自身の体験を講演で話すMIYOさん
MIYOさん
海外ではそういう人間を「モチベーショナルスピーカー」っていうらしいんですけど。僕はそれになりたいんです。「こいつだってこんなことやれるんだから、俺にだって。」って思ってもらえたら本望なんです!
ウブマグ
その等身大さが、MIYOさんの魅力です!!!
MIYOさん
僕、あまり先を見ることに魅力を感じなくて。今日はどこへ行こう?ここを曲がったら何があるんだろう?ってその瞬間その瞬間を生きているうちに、人生が展開されていくっていうのが僕の生き方だから。これからも自分らしく、目の前に起きた予想外のことを楽しんで、旅するように生きていけたら思っています。
▲MIYOさんの次の旅が楽しみですね!(写真はマチュピチュにて)
いかがでしたでしょうか?
後天的に障がいを持つという大きなショックを経験しながら、
そこから「世界一周」という挑戦を成し遂げたMIYOさん。
MIYOさんと話しているうちに、
普段言い訳を並べて「怖い」「できない」と足踏みしている自分が
恥ずかしくなったウブマグ記者でした。
今回お伺いできなかった23カ国でのエピソードも、
次の機会にぜひ、根掘り葉掘り聞いていきたいと思います!!!
MIYOさん、本当にありがとうございました!
三代 達也(みよ たつや) / Tatsuya Miyo
■生い立ち
1988年11月30日生まれ、茨城県日立市出身。
18歳の時にバイク事故で頸椎を損傷、四肢麻痺(C6B2不全)により車椅子生活に。
約2年に及ぶリハビリを終え、東京に単身一人暮らしを始める。
23歳の時に初海外一人旅を経験し人生観が大きく変わる。
28歳勤めていた会社を辞め、世界一周一人旅を決意。
■趣味、特技
海外のクラブ・バー巡り
おじいちゃんおばあちゃんとの会話
本日のウブマグ記者/しょこ
おかゆが好きです。
なので
高齢者になるのが
ちょっぴり楽しみです。