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DJ NOAH VADER:My Music Life 001

My Music Life 001

皆さん、こんにちは。
ライス兄弟の弟、夏は常にアロハシャツを着る方のノアです。
今までの連載は、兄のジョナの漫画を掲載してきました。
今日から弟のターンです。

現在私は京都にあります障害福祉施設にて相談員をしていますが、それと同時にDJの活動も行なっています。
昼は福祉相談員、夜はDJ。気分はバットマン。
そんな車椅子版ブルース・ウェインが何故DJをやっているのか気になる方がおられるかもしれませんが、近日中にアップされるであろう、ライス兄弟がUbdobe代表の岡さんとお話をさせていただいた時の記事をお読みいただければと思います。
しばらくお待ちください。待てばその分読んだ時の感動も大きくなるかも、なんて。

ということで、これから一回の連載につき一曲、レコメンドミュージックを紹介しつつ、私の人生の事や考え事、時には愚痴をつらつらと書いていこうも思います。
レコメンド曲については完全なる独断と偏見で選んでいきます。
オールジャンル、新旧問わず、ど定番から「なんじゃこりゃ」ってものまで。

記念すべき第1回目は、音楽史の中でも随一の強い女、鉄のディーバ、Nina Simone(以下、日本語で書きます)の隠れた名曲、”Ain’t got no, I got life”です。

曲の解説をサラッとしておきますと、曲名の通り、曲名の前半で「自分には友達もいない、家族もいない、金もない、愛も貰えない」と自分に無いものを順番に言って嘆きます。しかし、そこから中盤に「じゃあ自分には何がある?他人に奪われないものは無いのか?」と自問した後、曲調が明るくなるのに合わせて、一気に「自分には耳も鼻も目も心臓もある。自分は自由がある」と誰にも奪えない自分だけのもの、そしてそれさえあれば良いのだと自己肯定的な歌詞になっていくのです。
初めてこの曲を聞いた時、前半の歌詞が自分のネガテイブなところに引っかかって、「そう思う時もあるよなぁ」としんみりと聞いていたのが、一転して自己肯定を歌った瞬間、無いものではなく有るものに目を向けて自分を愛することを教えられた気分になり、目頭が熱くなったのを覚えています。

この曲はミュージカル「hair」の中で歌われる歌のカバーで、ニーナ・シモンのアルバム『Nuff said』に収録されているのですが、私はあえてアルバム版よりもライブ版をレコメンドします。

なぜならこのニーナ・シモン、アルバム版でももちろん素晴らしい曲に仕上がっているのですが、ライブでの熱量は凄まじい。
(ていうか、ライブでより輝くアーティストっていますよね。その典型です。)

ていうか、DJとして、第1回目はエレクトロとかを紹介すべきなのかなとも思ったんですが、そういった考えを全部ぶっ飛ばすほどこの曲は自分のベストオブベスト。

また、もう1つニーナ・シモンを1回目の曲に選んだ理由があります。それは、その歌声と楽曲に対してだけでなく、その人物と歩んだ人生に対してもリスペクトすべき点があるからです。

ニーナは幼少期からピアノを弾き始めました。メキメキと力をつけた後、成長したニーナは、クラシックのピアニストになる事を夢見て、その道で有名なジュリアード音楽院を受験します。しかし結果は不合格。ニーナはその時の社会情勢から黒人差別によるものだと考えたといいます。

その後、ニーナはバーで働きながら、次第に歌うようになり、ジャズをはじめ、ポップス、ブルースなどなどを歌い上げるシンガーになるのです。

さて、ここからが本題。
ニーナはシンガーとして目覚ましい活躍をしていたのでした。しかし、彼女は次第に社会運動にも目覚めていきます。1960年代の黒人公民権運動に精力的に関わっていくのです。
本職である歌手の方でもその色を出していき、当時、黒人差別が最も酷かった州の1つであるミシシッピ州への痛烈な批判を込めて、”Mississippi goddamn(訳すと「こんちくしょうめミシシッピ」)”なんて曲を作って歌っちゃうのです。

私や、きっとこの記事を読んでくださっている皆さんなら、「最高にロックでかっけーじゃん!!」と捉えるでしょう。しかし、当時のアメリカ社会ではこうした黒人による運動に対する風当たりが強烈に強かった事は言うまでもありません。
ニーナが社会運動にのめり込むほど、社会はニーナを遠ざけて、いつしかニーナは干されてしまうのです。

まあ、その時代の波が落ち着いた後に、静養期間を経たニーナは再びシーンに戻ってくることになるのですが。
また、このエピソードの他にも、ニーナはDV被害者、そして子へのネグレクトをしてしまうなど、色々と注目すべき点があるのですが、今回メインで取り扱った、この社会運動と歌手生命との綱引きは、立場は違えど同じマイノリティで、かつアーティストの看板背負ってる私にはめっちゃ分かる事なんです。

純粋に音楽を聴きにきてて、それのみを求めてる人に対して、「障害の事をもっと知ってよ!」って言っても、おそらく「いや、確かに大事な事なんでしょうけど、自分は遠慮します…」って感じで、引いてしまう人がほとんどですよね?

鍋に例えると、自分では既に十分美味しいと感じてる鍋に、お店の人から「パクチー入れてください!ね、パクチー!絶対気にいるから!」とグイグイ来られたら「いや、自分のペースで…」と引いてしまうのと同じ感じではないでしょうか。どうでしょう。

自分が思うに、ようはバランスと意地なんです。

相手の受け入れる準備がまだ整ってない状態から、やれ社会正義だのやれ人権だのと自分の想いの丈をぶつけても、キャッチボールが成立してない時点で、届くもんも届かない。

でも、だからといって相手が求める事だけをやってても意味はない。
実際、ニーナも大衆が求める通り、ジャズやポップスを華麗に歌い上げるシンガーに徹していれば、干される事もなかったでしょう。
実際、同時期で同じく有名になっていたナット・キング・コールは政治的な活動やメッセージの発信を活発に行なっていなかったので、バッシングもありませんでした。

しかし、ニーナが自分の想いに蓋をしないといけなくなったらどうなるでしょう。他人から求められる姿を演じてるだけだったら、自分に嘘をついているようなもんですよね。
ニーナにとって黒人差別問題は声を出さずにはいられなかったのでしょう。そして自分の言いたい事を「音楽」で伝えた。

私、ノアも、最初にDJを始めた時は「音楽好きだし、なんか華やかなイメージだから、やれば楽しいかも」と思っていただけでした。しかし今では、もちろん純粋に音楽が楽しいという気持ちは変わっていませんが、それに合わせてあわよくば来てくれたお客さんに、「え、このDJ車椅子に乗ってる!車椅子乗っててもこんなこと出来るんや。しかも案外イケるやん!」と、音楽を目当てに踊りにいらしていても、そこでついでに障害福祉についての気付きを持っていただく。カレーがメインだったら福神漬けのように、社会へメッセージを発信出来れば良いなと思い、これまでやってきた次第なのです。
そして、こうした上手い具合にメッセージを発信するなんて芸当は、マイノリティ且つDJである自分の強みだと考えています。

という感じで、ニーナ・シモンの一曲からここまで色々膨らませてきましたが、いかがだったでしょうか?

ニーナ・シモンの人生の事をもっと知りないという方がおられましたら、現在Netflixで「ニーナ・シモン 魂の歌」というドキュメンタリー映画が公開されているので、合わせておススメ致します。

第1回目ということで、だいぶ熱量を込めてしまいました。さーせん。

次回、第2回はジェットコースター級の落差でゆるくなる予定です。あくまで予定ですが。

それでは皆さん、良い音楽生活を!

Text by : ライス趙 ノア

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