MENU

難病母さんの北海道DIARY~「森のほとりの小さな家より」 #01 もりの家にようこそ

もりの家にようこそ

はじめまして。亮子です。

私の家は、生まれ育った北海道のまちはずれ、森のほとりにポツンと建っています。16坪の真四角な家にロフトの付いた小さな家です。お金がない中で工夫して建てた家は、普通はあるものをザックリ省いたシンプルなつくり。
たとえば玄関はなくて、掃き出し窓から出入りします。代わりは土足で入る広縁のような場所。スコップ一本で整地して、大事に育てた庭が見渡せるお気に入りの空間なので「ガーデン・ルーム」と呼んでいます。

本当は、しゃれているのは名前だけ。デッキから出入りしては、雪が吹き込んでとんでもなくでは寒かったので、アクリル板で囲って、デッキの隙間をモルタルで埋めただけです。

「土足でくつろげてサイコーだよ」なんて作った夫婦で自画自賛♪

ご近所さんや友人が気軽に立寄る、開放感あふれた自慢の場所です。

ですが10年たたぬうちに、良く通る場所のモルタルはパリパリ割れてきました。「良いこと考えた!輪切りにした丸太並べて…」なんて夫は言いますが、どうなることやら。実は割れてきてからもう何年も経っていて、すっかりハゲチョロなんだけどなあ〜。

大自然の懐で、こんなノンキなわたし達夫婦と息子、ワンコの「ユピー」と「ノノ」は五人家族で暮らしています。私の趣味は、いまも昔も庭しごと!

エピソードを描くと、すこぶる元気な私ですが、タイトルの通り丈夫なたちではありません。
身体が不自由で、手足…特に足の自由が利かず、装具で足もとを安定させて杖で支えても、歩ける距離はコンビニ一周くらい。

一番の困るのは、身体中がカチーンと固まる発作。ビックリするような急な音、肩を叩いて呼び止めるような接触。普通ではなんて事のない刺激でカチーン ‼︎

もともと子どもの時からさほど頑丈ではありません。筋力も弱くて身体も硬く、歩き方も話し方もちょっと変…。でも障害や病気の概念が今と違う時代。すべて個性だと思って、野山を駆け回って大きくなりました。

歯車が狂いはじめたのは2010年。転びやすくなって、腰痛も出て。整形外科に行っても心配ない程度のヘルニアだと言われました。だんだんひどくなるけれど、本当に?

2年後の2012年には、のけぞってカチーン!と固まる発作と、強い痛みを伴う強張りが強まり、ほとんど歩けなくなりました。免疫機能が突如おかしくなる「自己免疫疾患」のひとつ『スティッフパーソン症候群』に症状は当てはまるそうですが、確定診断ではありません。

診断が難しい理由を、いつも笑顔とユーモアたっぷりの主治医は、こんな風に伝えてくれました。「もともと持っていたものが加齢と共にガックリ…ああ言い方悪くてごめんなさい〜まだまだお綺麗よ?うん」…ホンワカ。

…先生、ノーメイクのフォローありがとう…で何の話でしたっけ…と真っ白。とにかく全く違う進行性の先天疾患もある可能性?新疾患の可能性?もあるかもしれないそうで、医学的にはチンプンカンプン。

今、ハッキリ言える事は、何かしらの治しようもない神経の病気がある事だけ。たったこれだけのことが分かるまでに、8年もかかってしまいました。

原因不明を生きることと、難病を生きるのは全くの別物です。

医師は異常の無い人を患者として診ていくことは出来ません。藁にもすがる思いで精神科に行っても異常なしでは医療に居場所はありません。まだ介護保険のお世話になれないので、どんなに困っても福祉サービスは受けられません。病気や障害を生きる人のために作られた、あらゆるシステムからはじき出されてしまいました。

いちばん辛かったのは、「現実逃避」「詐病」「甘え」といった医師のひとことが絶対評価のように感じ、私は本当はそういう人間なのかと、自分を見失ったことでした。どこから這い上がったら良いのか分からない、どん底を見たと思いました。

それでも私には、まだ幼い息子がいました。この子の子ども時代をしあわせなものにしたい…親なら誰もが抱く気持ちを私も忘れませんでした。不幸な母親が側にいて息子がハッピーになれるはずがない!

そうして過ぎた今、
とっても愉快な思い出と、
医療や福祉に支えられ、家族で寄り添い合う暮らしがあります。

どん底だなんて思った場所は、ひとつの通過点でしかありませんでした。

きみのために頑張ろうと思って良かったよ。
結局、助けられたのは私だったね。

ここでは、「医師が精神的と言うのなら、思い切り楽しんで生きてみれば、自然と治るかな?」と、息子と思い切り遊んだ日々や、ときには社会の日陰の中で、いっしょに成長してきた日々を書いていきたいと思います。

どうか、応援として、孤独やどん詰まりにあえぐ誰かへ届きますように!
読んでいただける全ての方へ感謝を込めて。

Text and illustrations by : 山崎 亮子

2012年より、原因不明の病によって身体が不自由に。それでも大自然に包まれていたいと、開発跡地で手がけたナチュラルな庭や森を作り続けています。発達障害の息子はいまや立派なパートナー!