MENU

【シリーズ 子ども連れお断りからの逆襲 02】〜 子離れ期編 〜  どこからが「選別」で、どこからが「差別」なの?問題

 
 
子ども連れお断りシリーズ第2弾!
前回の「独身編」から、視点をググッと変えて、
今回は「子離れ期編」。

絶賛やんちゃ盛りの2児の母の女性からのご寄稿です!

立場の違いによって起こる悲しみのすれ違いを減らすには・・・?
それぞれの「立場」知り、「想像力」を培う、
全ての人に捧げる連載!!!

さあ あたなは どう感じますか?

元記事(noteより)

https://note.mu/uqoka/n/ndaa8aa120cfa
 

【シリーズ 子ども連れお断りからの逆襲 02】〜子離れ期編〜  
どこからが「選別」で、どこからが「差別」なの?問題

 
うちの近所にもねー、あります、「子連れお断り」のカフェ。
最初にそれを知った時は、育休中だったか、乳飲み子を抱えた時期だったのですが、

「なんだ、そりゃ。お高くとまってんな、こんな住宅街で。」

と思いました。自分たちだけよければ、その他の人のことは知りませんよ、迷惑をかける子どもに振り回されたく無いですよ、
と拒絶された気持ちになったものです。

近所に住むママ友のLINEグループで「なんだあの店?」の話題が出たこともあり、言葉にはしませんでしたが、「そのうち淘汰されて潰れればいい」くらいに意地悪なことも思いました。
 
 
 
だがしかし、

今回の、某子育ての似合わない永遠の4歳男子みたいな医療福祉エンタメNPO代表さんの文章を読みながら、なんとなく違和感も感じたのが、いまの私です。

▲某子育ての似合わない永遠の4歳男子
 
人間本当に、ゲンキンなもので、喉もとすぎれば・・・です。

今の私は、正直「子どもと離れて過ごしたい欲求」がなかなかの強さで週1~2の頻度で襲ってくる”子離れ徐々に始まっている期”なのだと思います。

”四六時中一緒にいなきゃいけない、一緒にいることが最大の幸せ”だった時期とは、感じ方も変わったのだなあと思うのです。『子連れお断り』も、やむを得ないんじゃないの・・・と。
  
 
 
ジャケット着用をお店のドレスコードにしたり、タトゥー入った人拒否は、法的に認められた行為らしいのです。[権利を守る]視点からいくと、特定の人をお客さんの対象にしないという権利は、お店側にもあるのですって。

子連れファミリーやママ軍団は、住宅街にあるそこそこオシャレ感出してるカフェにとっては大事な顧客層だと思います。

それを敢えて排除しても、守りたいお店のポリシー?雰囲気?スタンス?が、あるのでしょう。

それはそれで上等じゃないでしょうか。彼らのしたいことを、阻害する権利は私たちには無いのです。どーぞ、勝手に思うようにカフェ経営なさればよろしい。と、思いました。
 
 
 
・・・いや、待てよ。どこまでが「お店のお客さん選別」の権利で、
どこからが「差別」なんだろう?

 
 
 
『子連れお断り』の理由が、静かにしていられない、マナーをわきまえられないことであるとしたら、それを出来ない人であれば成人年齢であってもお断りされるのでしょうか。鼻たらして食べこぼしだらけの子どもがいるとオシャレ感が損なわれるという理由であるとしたら、大人もオシャレチェックとか、入り口でされるのでしょうか。

自分たちの求めるものと違うヒトのことは、入ってこないように制限する。その権利は確かにある。私もイヤですもん、ゆっくりしたい午後のコーヒータイムの隣の席に乳児がいてアンハッピーにぐずられたりしたら、気になってリラックスできないです。

学生時代、私語禁止のジャズ喫茶がお気に入りでした。ああいう店は、あったほうがいい。美術館や映画館のように、静かに過ごすことを前提としている文化的施設では、それをできない人は遠慮してもらった方がいい、たとえ規則上は禁止されていなくても、お互いのために。

がしかし、『子連れお断り』ではなく、
『車椅子お断り』『盲導犬お断り』だったら?

コレは明らかに問題ですね。合理的配慮ってやつで。その人がしたいことをするために必要な手助けは、みんなでしていきましょうよ、全ての人にとってできないことを減らしていきましょうよ、という考え方ですよね、いまニッポンが大切にしていこうとしてるのって。

じゃあ、『女性お断り』や『高齢者お断り』だったら?
『○○系人種お断り』『○○出身者お断り』だったら?
・・・区別する内容によって、
「お店の権利」で済まないことになってくる。

そんなときに、思い出しました。若かりしころ、オーストラリアのナイトクラブにオージーの友人と入店しようとしたとき、私だけ止められたことを。理由は告げられず、ただデカイ身体のエントランスチェックの男性に無言で「カノジョ、ノーノーノー」と制されたのです。
 
「成人してますよ」「ノーノー」、
「危険物持ってないですよ」「ノーノー」、
「何がいけないの?」「・・・(無言)」。

一緒に来たアングロサクソン系のオージーの友人だけなら「入ってよし」。私には「ノーノーノー」一点張り。

イギリス本土では何度か体験しましたが、オーストラリアで人種差別的なことをされたのは初めてだったので、びっくりしました。

オーストラリアって、移民だらけの国なのに、マジか。よく見たら、入店の列に並んでいる中には、普段の街中でたくさんすれ違うアジア系人種は一切おらず・・・。あ、そういうことですか、と察しました。一緒にいたオージーの方が怒っちゃって、

「ふざけんな、そんな店だと思わなかった。いつも来てるのに。もう来ねえよ!!」

と怒鳴り声上げてましたけど、私は「おお、差別体験。」くらいにしか思いませんでした。

差別される側というのは、怒る気にもならない場合もあるんですよね。諦めちゃうというか、そんなもんかと妙に受け入れて波風立てずにやり過ごしてしまう。
友人は、「これまで気がつかなかった。あの店、そういえばアジア系の客いなかったかも?気にしたことすらなかった。ごめんね、無意識に差別に加担してた」とショックを受けてました。私には、もともとそんなに気にしなかったけど、友人がそう言ってくれたことで、不快な体験がいい経験になりました。きっと、一度や二度なら、「いい社会経験」くらいで済むのだと思います。
(ホントは、そんな経験、全ての人がしないで生きられるようになったらと思うけど、人間弱いから、すぐ差別したがるので、きっとゼロにはならないだろうと思う。いまはそのことについてはこれ以上書かないでおきますけど。)

だけどこれが、毎日いたるところでだったら?怒りややるせなさでいっぱいになって、その街で安心して暮らせなくなること、間違い無しです。縮こまって生きていくことにどんどん慣れてしまうと思います。
 
 
 
もし、『子連れお断り』が、ごくごく一部のお店の特殊な例なら、世の中にとって、大きな問題にはならないのかもしれない。ちょっとオリジナリティ強めの店だよね、で許される。それを支持する一定の人たちだけをターゲットとして、成り立っていくのかもしれない。
 
だけど、これがマジョリティだったら?
多くの店で『お断り』と言われる子育て家族は、
どんどん地域での生活に肩身を狭くしていく。
子どもを生み育てることが不自由になっていく。

そう思うとね、やっぱり、『子連れ』なんてシンプルなことを、お断りするような社会で大丈夫なのか?日本?と思う。そのうち平気で、『年齢」だの 『性別』だの 『人種』だのでまで、人を区別してカテゴリ別にお互いに寄り合わなくなっていくのではないかと懸念してしまう。考えすぎ?悲観的過ぎ?ですかね・・・。
 
 
 
 
一方の権利ともう一方の権利を同時に守るって、難しいことだと思います。法律で決まってるからどうの、という問題ではなく、お互いにモヤモヤしてしまう場面はなくならないのかもしれない。
 
だけど、だからこそ、お互い気持ちよく楽しく過ごせるようにしたいものです。ちょっとした「思ってたのと違う」をお互いに受け入れあえる世の中になればいいのに、と思うのです。「どっちでもいーよ、アナタが幸せなら、私もちょっと幸せかも」と思える場面を増やしていけたら、と思うのです。
 
たった一つのカフェさんは、
『子連れお断り』もお好きになさるがよろしい。
 
しかしそこを利用する我々が、考えるべきではないでしょうか。『子連れお断り』の店を利用し、加担することがこの社会をどんなものにしていくのか。消費を選択する時代です。何を支持し、何を受け入れないのか。結局、私たち一人ひとりの小さなち~~~ちゃな選択の積み重ねが社会をつくっていくのだと思います。
 
 
 
さて、私は明日、どのお店でコーヒーを飲もうかにゃ・・・

ANSWER NO.002 NAWO
 
ー お知らせ ー
 
【シリーズ 子ども連れお断りからの逆襲】では、
「公開リサーチ」として様々な立場からの様々なご意見を募集し、
ウブマグに連載していきます!

▼元記事

▼第一回

▼第二回(本記事)

ぜひこの件について意見を述べたい!という方は
✉︎ info@ubdobe.jp
まで、ご連絡ください!

次の連載は、どの立場からの、どんな見解なのか?
更新をお楽しみに!!!