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若者がFを叫ぶ#04「ひなたび vol.1 @檜原村 前編」

若者がFを叫ぶ#04「ひなたび vol.1 @檜原村 前編」

どうも。Fuck野郎です。

先日の「まちづくりって、活性化だけじゃないよね?〜青二才が語るまちの終活〜」の記事で書かせていただいた通り、私のライフの中心にある「まちの終活」のヒントを得るべく、GWは限界集落巡りをしてきました!!

実は高校生の時から限界集落巡りをしているのですが・・・・
限界集落って言葉を多用したくないので、これからは「ひなたび」と名付けて、「まちを終活の視点でみながら行く旅」という感じの記事を書いていけたらな、と思います!

まず、なぜ今回檜原村を選んだのかというと・・・

外の若者が事業を起こすなど、活性化の動きが出始めたものの、定住者は増えない、というもどかしい状況にある地域住民はどんな気持ちなのか、諦めムードなのか活性化をしていく雰囲気なのか知りたい。

・大都市近郊の限界集落を見たことがないため体感したい。

・「東京(本島)唯一の村」ということで都からの補助金が多く、それがどう使われているのか気になる。

という興味があり、足を運んでみることにしました。

檜原村は高齢化率47%と、ギリギリ限界集落の定義から外れています。
(限界集落論の第一人者大野晃氏の定義によると、高齢化率50%以上の地域を限界集落としています)
とはいえ、自治体単位で見ると裕に50%を超えているところもあります。

そんな檜原村、もちろんツテもなく、役場も休みかな、と思い行政職員さんからお話を伺うアポもとっていない、という0に近い状態で行ってみました。

「あ、下調べはちゃんとしましたよ!!(小声)」

武蔵五日市に到着。

うわ、雨だ・・・・

ここからバスで40分ほど山を登っていくのですが・・・

私はこれで行きます笑
人里って書いて「へんぼり」って読むんです。

雨の中、車が止まりやすそうなところを選んでヒッチハイク開始。

早速、家族連れの車が止まってくださいました。
本当にありがたい・・・・

お父さんとお母さん、そして双子の子供達が。

運転手のお父さんのおばあちゃんのお墓が檜原村の奥の方にあるらしく、お墓詣りにいくところだそう。

「お兄ちゃん見て〜!!」

と、何もないのに見せてくれます(何を笑)

可愛いですね〜
「車の中暇すぎてね、嬉しいのよ」

とお母さん。

「おもちゃになります」

と私。

車に揺られ山の中へ。
自己紹介がてら、車の中で少し研究に関するお話をさせていただくと、少し関心を持ってもらえた様子。「変な研究してるヤツきた!」と降ろされなくて一安心。

車内でのお話によると、Kさんは福生市にお住まいで、ご両親のご実家が人里にあるとのこと。すでにご両親は人里を離れて暮らされていて、今はお家を無償で人に貸しているそう。山などの財産がKさんご自身に相続される話に関して今後の予定を聞くと、「東京チェーンソーズ」と言う会社に山を渡そうと思う、とお話くださいました。

まだ現場に着いていないのに、研究で考えるべきポイントになるお話をダイレクトに聞かせていただきました(笑

お家に住んでくれる人がいるうちは安心ですけど、それが今後どうなるか、ご両親はどうしたいのか、Kさんに委ねられていることもあると思います。

「限界集落」というと非日常な感じがしますが、意外と都市生活者と密接に関わっているんだな、と改めて感じました。

お家に関しては心配が残るようですが、一方山に関しては「会社に渡す」という選択肢があるだけで大きな安心感になっているように思いました。終活に際する様々な問題はもはや個人の力ではどうしようもなくなってきているところなので企業の力と連携して、win-winになる関係性作りって大切だな〜としみじみ思いました。

そんなこんな、フィールドワークの現場に着く前からいいお話を聞かせていただきました。

そして目的地の人里に到着。

「ここのこんにゃくおいしいよ〜」と教えてくださいました。(帰りに買いました)

いやぁ、本当にありがたかった・・・
こんなFuck野郎を乗せていってくれるなんて、日本は全然終わってないですね。

全力でお礼を述べ、小雨の降りしきる中、徒歩でゲストハウスへんぼり堂を目指します。

これかな?というところまで辿りつきました。

なんで看板ないんだろうな〜〜
ここにデカデカと看板つくってしまうと

「よそ者がまた何かやり始めたぞ」

と反感を買っちゃったりするのかな〜、なんて想像していましたが・・・

後日、創立者の鈴木さんという方に伺ったところ、

へんぼり堂にくるお客さんが迷って地元の人に

「へんぼり堂ってどこですか?」

と聞くことになり、そこでコミュニケーションが生まれるから、

だそう。すごい・・・・

僕も地元の人に聞きたかった・・・
雨降ってるので誰にも会いませんでした笑

へんぼり堂に着き、オーナーさんに諸々説明いただき・・・
ひと段落。重たい荷物もおろせました。。。

これからどうしようかな。

とりあえず、散歩しよう、雨だけど笑

ということで散歩開始。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人里は山を開いて作られたようで、石垣で平地をつくって建設されているものが多いです。

歩みを進めていくとお寺もありました。
お寺ってその地域を考える上でかなり重要なんですよね。
実は全国をみるとコンビニの数よりお寺の数の方が圧倒的に多いのです。

お寺はその地域の住民を檀家に持ち、冠婚葬祭に欠かせない存在になっています。
地域のことは坊さんに聞くのが一番、と思ってます。
(あくまで個人の主観です。自治会長、元自治会長はアクティブインタビュー的に主観をゴリゴリに入れた議論は面白くなりますが、ある程度客観性を持ってニュートラルに語ろうとしてくれる方はお坊さんに多いです。
今度来るときはアポとってお話聞きにこよう・・・

この写真でもわかるように、かなり山を開いて畑にしてますね。
実はこの翌日、斜面の畑仕事を手伝わせていただいたのですが、斜面用の鍬で角度がえげつなくて耕すのが大変でした。

ちゃんとコミュニティーセンターもあります。
このコミュニティーセンターがどのくらいの頻度でどのように利用されているのか聞いてみたいです・・・

私が歩いたところでは唯一、パンなど食べものが置いてあるお店です。
地元の酒屋さん。

店主の話を聞こうとパンを1つ買って20分くらい居座りました。
人里出身で店を継ぐのにずっと人里から出ていないそう。
そんな方もいらっしゃるんですね。

お話によると、みんなあきる野市など、もっと住みやすい方に降りていってしまってここら辺はもう高齢者しかいない、というお話でした。へんぼり堂の取り組みに関しても、若者の出入りは増えて、お祭りの手伝いをしてくれたりして大助かりだよ、というお話を聞かせていただきました。
一方で、人の出入りは多くなったけど、まだ誰も移り住んでないから現状は変わらないなぁ、という嘆きの声もお聞かせくださいました。

うーん、、、

潜在的な意識かもしれませんが
「移住者が来ないと安心できない風潮」というのはどこにも根強くあるんだなぁと思いました。
関係人口という言葉が流行っていますが、住民さんは関係人口に対しては「ありがたい」という気持ちがある一方、「移住者」というのが「成果」という考えが浸透しており、安心感や地域の未来への希望にはなりきれていない印象です。

ううん・・・

住民さんは移住者が来たら喜ぶのか・・・
関係人口は住民さんにとってどんな立ち位置なのか・・・
本気で地域の存続を望んでいるのか・・・
諦めモードなのか・・・

よそ者の私の感覚では、このまま人里の住民さんの数が減っていき、何10年間か後に人がいなくなってしまったとしても、へんぼり堂がある限りは人の出入りは絶たれずにこの地域は「残る」ような感じがします。それは人里という土地を介したコミュニティーが絶えず存在するからであり、必ずしも人口0=消滅
というわけではないのではないかという仮説です。

結論を出せるような話ではありませんが、非常に頭を使ういい時間でした。

写真がなく残念ですが、1人、小雨の中草抜きをしているおばあちゃんに出会いました。

Fuck:こんにちは〜

ば:おお、こんな雨なのに、こんにちは、どっから来たのかね

Fuck:杉並区から来ました!草抜き、手伝いましょうか??

ば:おお、そうかい、私はね、今あきる野から出てきたんだよ。人里に家があってね、週に1回くらい戻ってきて庭や家の掃除をするのさ。(草抜きに関してはスルー)

Fuck:そうなんですね〜!あきる野に移り住んだきっかけとかってお聞かせいただけませんか?(手伝いますよー、草抜き)

ば:そりぁ、人里じゃ暮らしていけんからね。あきる野にはスーパーもあるし。でもこの家で毎年トマト作っててね、それが楽しみで、今日は草抜きにきたんだよ。家もこのままじゃどうしようもないけどね。

こんな会話がありました。
ははぁ、ばあちゃんになってもめちゃめちゃハードなことしてるな・・・
これ、いつまで続けられるんだろう、と思いました。

空き家とか、耕作放棄地ってこうやって出来ていくんですよね・・・

ちょっとだけ、まちの終活のヒントがもらえました。
誰もまちの終活なんてイメージがつかないわけで、せいぜい個人の終活、家の終活まで考えられれば上等、という世界だと思います。

ですが裏を返せば、個の集団がまちであって、各々が家の終活まできちんと行うことができれば、まちの終活に際するハード的な問題は軽減できるのではないか。
(まちの終活の本質のソフト面に関してではありませんが、ハード面においてはこれが言えるかと)

うん、家の終活、大事だな。

(この家の終活というワードが1ヶ月後、よりビビッと刺さってくるとは当時は思ってませんでした、これに関してはまた書きます。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんだかんだ、気づきの多い散歩でした。

アポなしでしたが。

なんだかんだ、すっきりした散歩でした。

雨でしたが。

とまぁ、1日目はこんな感じで終わりまして・・・

夜はへんぼり堂宿泊者が材料持ち寄りでご飯!!

平和な夜でした。

これだけ書いてまだ1日目か・・・
ちょっとダラダラ書きすぎました。

長いことお付き合いいただきありがとうございます。
後編はもう少しポンポン行こうと思います。

後編へ続く→

  
Text by : HINATA MAEDA慶應義塾大学総合政策学部(SFC)1年
まちの終活だとか、死に際の生き甲斐だとか、はっきりしないものばかり追い求める青二才。