＃03　　「5人の専門家より100人の素人」 　さとうみくる

　
　
　
　
「ぶちくらすぞ、ごるぁあ」
　
　
　
　
　
いつもは平和なホームに怒声が響きわたる。

さっと事務所に緊張の波が走ったと思うや否や、
声がしたほうにいっせいにに走り出す。

「△△はどこいった。出てこいや。」

どうやらMさんがぷつんとキレたらしい。目が完全に血走っている。
他の利用者からちょっとしたいちゃもんをつけられたのが気にくわなかったようだ。

まずい、と思った。Mさんは普段穏やかな性格なのだが、一度キレると前後の見境がつけられなくなる。それが原因で暴行傷害事件を起こして服役していた過去もある。

もういちど事件を起こすようなことがあったら、もう二度と外に出てこられないかもしれない。そんな思いもあって、職員達の間に緊張が走った。

しかし、そんなピリピリした空気を打ち消すかのように担当の職員が明るい調子で話しかける。

「Mさん、どうしましたか～？顔が怖いですよ〜！ほら、手を出したら駄目っていったじゃないですか。小山さんが心配しますよ〜！」

小山さんというのは、Mさんが檻の中にはいっていた頃から長年支援していきた職員さんだ。Mさんは小山さんのことを（自分よりも一回り年下であるにも関わらず）兄のように父のように慕っていた。

Mさんの目が一瞬泳いだ。
いまだと言わんばかりに、担当職員は続けた。

「恵理ちゃんと山本くんがも悲しみますよ。ほら、中山さんだって。」

恵理ちゃんと山本くんはMさんをよく外食に連れ出してくれるボランティアさん達だ。この間は一緒に温泉の日帰り旅行にも出かけていた。

中山さんは前の担当職員さんで、Mさんがホームにやってきはじめのまだ不安定だったころに親身に寄り添った。

そんな風にひとり、またひとりとこれまでMさんに関わってきた人の名前を出すたびに、Mさんが徐々に落ち着きを取り戻すのがわかった。
　
　
　
あ、人がストッパーになっている…！
　
　
　
Mさんを最後の最後で踏みとどまらせたのは「暴力をふるってはいけない」という当たり前の理論による説得ではなくて、「お世話になった人達を悲しませてはいけない」という人としての情への訴えだった。
　
そのとき思い出したのはうちの理事長がよく口にする『5人の専門家よりも100人の素人』という言葉だった。

5本のロープはその5本が切れてしまえば終わりだが、100本のロープは5本切れても95本残っている。だから、ロープは多ければ多いほどいい、ということらしい。

現場にいると自分が出来ることなんてたかがしれている、と落ち込むことが度々ある。

でも、それでもいいのだ、それでもともに居続けることが大切なのだと思った。
100本分の1本のロープにさえなれていれば。
　
　
ただでさえ、私たちが向き合っているおいちゃんは身寄りもなく孤独感を抱えている人が多い。
　　
　　
そんなおいちゃん達が落ち込んだとき、自暴自棄になりそうになったとき、
少しでも私の顔が過ってくれますように。そんな心持で日々おいちゃん達と過ごしている。
　
　
　　
Text by Mikuru Sato

元ホームレスの個性豊かなおいちゃん達が暮らすミラクルハッピーホームの生活相談員。
血の繋がらない家族をつくるために日々奮闘中。