NAOKO KAKIGAWA
書川 尚子
職業: 薬剤師・サロンオーナー
年齢: 28歳
Vol.34 書川 尚子(薬剤師・サロンオーナー/28歳)
現在の仕事内容を教えてください。
薬剤師という資格を活かして、女性専用サロンを経営しています。エステですか?マッサージ屋さんですか?と良く聞かれるのですが、どちらもちょっと違います。一言で言うと、プライマリーケアをしているサロンです。予防することの大切さ、を一番に言っています。
女性はどうしても「美しさ」を先に求めがちですが、「まず健康ありき」だよということを常にお話しています。
痩せたい、キレイになりたいなど、女性一人ひとりの希望を叶えるために、食事指導、入浴指導、マッサージ指導といった「生活習慣」指導をメインとして、ボディメイクランジェリーを使って体型を整えていきます。お肌ケアも含め、トータルで身体をみてサポートしていきます。
そうすると驚くほど、みんな健康でキレイになっていくんです!何より、自分の身体の軽さ・ラクさを実感している方が多いです。
どこに行っても変わらなかったのに!と変わった姿や健康になった身体で嬉しそうに話しているのを見ると、私も本当に嬉しいですし、薬剤師では感じることのできないやり甲斐を感じます。
そのお仕事をするまでのきっかけを教えてください。
私は大学5年生のときに(薬剤師になるには大学は6年制になっています)ガンが見つかりました。当然大学にはしばらく行けなくなり、手術・治療をして、8ヶ月後にやっと戻ることができました。そして何とか無事卒業でき、薬剤師として働き出すことができたのは良いものの、抗がん剤治療によるものなのか、体力は落ち、疲れやすく、足もパンパンにむくんでダルい等、不調のオンパレードでした。毎日体力的にも精神的にも疲れきって帰宅しては、倒れるように寝て、また次の日…という日々で、このままだとさすがにマズい!と思うようになったんです。そこで、岩盤浴やハリなど体に良さそうと思われるものを試してみたんですが、私の場合どれでもさほど効果を感じられませんでした。一生この不調と付き合っていかないといけないのかな…と半ば諦めていたときに、知り合いに今私が仕事としているサロンに連れていってもらいました。こんな風に身体をケアできるところがあるんだ!と感動して、私はサロンに通ってみることにしました。それで、上記のような指導をしてもらって、本当に身体がラクになったんです。私こそ、何をしても変わらなかった身体が少しずつ変わっいって、本当に嬉しかった。
そうやって、薬に頼らずとも健康な身体って作ることができるんだ!と、薬をたくさん使ってきた私にとってそれが新たな視点でした。同時に、薬剤師として薬を使って、病気になった方のケアをすることに少しずつフラストレーションを感じるようになっていました。
だったら、このサロンという場所を通して、私みたいに病気にならないように、薬を使わなくていいように、健康なからだ作りをサポートしていく仕事がしたいと少しずつ思うようになったことがきっかけです。
大学在学中にガンが発症したとのことで、どこにガンができたのでしょうか?
卵巣です。女性は卵巣を2つ持っていますが、私は片方の卵巣が腫れていて、見つかりました。見つかった時は、もう手術するしかないくらいの大きさになっていて、ここまで良く気づかなかったねと言われるほどでしたが、気がつかないんです(笑)症状は全くなかったし、しかも卵巣は「沈黙の臓器」とも言われています。でも何故見つかったかというと、生理ではないときに、下腹がチクチク痛かったことと、何となく下腹が出てきたかな?と感じたんです。私は食べることが好きなので、食べ過ぎたのかなくらいに軽く思っていました。けれど、それらのことを何気なく母に話したときに「何かあってからだと大変だから、病院に行ってみなよ」と言ってもらったことで、発見できました。あのとき母に言ってもらわなかったら、私は今こうしていなかったと思います。母には本当に感謝しかありません。
いざ手術となって、取り出した私の卵巣はもっと大きく腫れていました。術後、その腫瘍が良性か?悪性か?という診断を待っていたのですが、手術前から「良性ではないだろうな」というのは何となく思っていました。腫瘍マーカーは高値だし、薬学部生だったからか?分かりますよね(笑)だからか、告知というか悪性だと告げられたときも変に冷静だったのを覚えています。ただ、手術は無事成功したのですが、まだまだ再発リスクは高いから抗がん剤治療を提案されてしまいました。取り除けばどうにかなるかな、と思っていた部分もあったので、やっぱり抗がん剤を使わないといけないんだと分かったときはさすがにショックでした。
抗がん剤治療は辛かったですか?髪の毛が抜けたり、吐き気がすごいと聞きますが。
そうですね…辛かったです。ただ、私の場合、吐き気は思ったほど出ませんでした。(今は良い吐き気止めの飲み薬があって、1クール目は使いましたが、それ以降は飲まなかったほど。私の場合、1週間の治療、3週間の休み期間で、1クールは約1ヶ月でした)
計6クール治療しましたが、3クール目までは、合う薬を探しながらの治療でした。というのも私はアルコール過敏で、溶媒にアルコールが含まれている抗がん剤でアレルギー症状(私の場合、呼吸困難、発赤など)が出てしまったんです。私の癌種に推進されている抗がん剤ではないけれど、私の身体に合い、かつ効果も期待される抗がん剤で、残りの治療をしていきました。
ちょうど3クール目くらいから、髪がパラパラと抜けてきて(※抜けやすい抗がん剤のタイプだったため。脱毛が起きないタイプの薬も多くあります)治療が進むほどそれは収集がつかなくなり、私の髪はほとんどなくなってしまいました。髪だけでなく、眉毛もまつげもです。顔も体もパンパンにむくんでいるし、これは誰…?といった感じで、自分の姿を鏡で見たくありませんでした。それが一番辛かったです。
だから写真もほとんどありません。こんな風に、写真を撮ってもらったり、人前で自分のことを話せるようになるなんて、全く思えませんでした。
今ではすっかり元気になられたとのことですが、後遺症みたいなのもないのでしょうか?
お陰様で治療終了から5年が経過し、ほぼ再発はないだろうと言われています。今は病気だったことを言うとびっくりされるほど、元気になりました。
後遺症はありがたいことにないです!ただ、女性ホルモンの乱れはあり、片方の卵巣を守るため、薬を1種類飲んで様子を見ています。薬はそれだけです。
元々、体が強い方ではなく、治療後は相当体力が落ちていましたが、今は現職でもあるサロンに出会ったおかげで、とても元気です!体調を維持するために、私にとって睡眠が何よりも大事なので、睡眠時間を確保することは死守しています(笑)
ガンを経験して感じたことがあれば是非教えてください。
当たり前だと思っていたことが、どれだけ幸せなのか、ということを痛感しました。
どこへでも自由に歩いて行けること、好きなものを食べられること、周りに家族がいること、勉強できること、何もかもです。
特に私にとって、家族という存在は大きいと気づきました。入院しているとき、母は疲れているはずなのに、パートが終わると必ず毎日お見舞いに来てくれました。何かいるものある?と言って。母の優しさ、暖かさを感じました。また、父も妹も祖父母も、心配そうな顔を一切見せず、普通でいてくれました。逆の立場だったら、すごく心配しちゃうだろうなと思うと、みんなとても強いなと思うし、思いやりに溢れていると感じます。そんな素敵な家族がいることさえ、当たり前、と思っていました。本当にワガママ娘だったんです。
病気になって辛かったこともたくさんあるけど、今は全てが私にとって学びだったと思えています。
ただやっぱり、病気にならないに越したことはないし、健康であることのありがたさを身をもって感じました。だからこそ今は、健康の大切さをどんどん伝えて行きたい、と思って活動しています。
こんな風に自分のこと、ましてや病気だったことなんて、本当だったら隠していたいです。でも、何のために、薬剤師になろうとしていた私がガンになったのかな?と考えたら、やっぱり今できることは、私みたいな思いをする女性を減らすこと。そのためには、隠していてはダメだし、話していかないといけない。それによって、気付きを得られる人、元気付けられる人がいるなら、私はどんどん話して行きたいと思っています。いま当たり前になってしまっていることは、実は当たり前なんかではなくて、かけがえのないものなんだっていうことに気づいて頂きたいです。
・株式会社東京青山美人研究所
http://aoyamabijin.co.jp
・ブログ
http://ameblo.jp/aobi-fuchu
【撮影者より】
辛い経験を乗り越えて、自分の仕事に一生懸命な書川さんはすごく輝いていました!ガンの時の貴重なお話もたくさん聞くことができました。これからはガンを通して体験したことも発信していくとのことです!
Photo & Interview by Hiroki Kondo
HP: http://www.hirokikondophotography.com/