【特別企画】ウラ実習日誌
これは
高齢者福祉施設に縁もゆかりもなかった一人の学生が
5日間の実習を通して感じたことを
ありのままに綴った、「ウラ日誌」です。
視点や言葉選びが制限された表の日誌では
書き切れなかった思いを素直に記しています。
これから施設での実習を控えている人に
「実際のところどうなの?」と参考にしてもらったり
現在施設で働いている方には
「実習生って本当は、こんなことを感じているのか」
といった、新たな発見にしてもらったり
それぞれがそれぞれの立場から、
何か感じてもらえることがあればと思っています。
※ 教育課程での実習のため、実技的な体験ではなく
利用者さんとのコミュニケーションを中心にした体験になります。
実習させていただいた施設はこんな感じ。
3つのサービスが1つの建物に入っている「複合型」と呼ばれる施設です。
それでは、頑張りましょう。
【1日目】
デイサービス。
寝てる。みんなとにかく寝てる。椅子に座ったまま寝てる。
実習で来たのに、寝ているじいちゃんばあちゃんを眺めることしかできないので困る。
午後は元気なおばあちゃん達の折り紙サークルに入れてもらい
「なんかすごくかっこいい鳥」を折る。
途中、おばあちゃんが内緒で飴を2粒くれた。
悪さを共有すると友情が芽生えるのはいくつになっても同じだと思った。
【2日目】
ショートステイ。
おしゃべりしてたおばあちゃんの元に孫と名乗る某有名人が面会に来ておったまげる。
まさかここで有名人に会えると思わなかったからついつい人に言いたくなっちゃう。
(本当はここにWikipedia付きで載せたい。)
「守秘義務」って、大事だけどもどかしい。
午後は頼み込んで、「実習生はショックを受けちゃうから」
とスケジュールから外されていた特養にちょっとだけ入れてもらう。
そりゃ寝たきりだったり、管に繋がれたりもしていたけど、
他と変わらずいい時間が過ごせた。
おばあちゃんの手を触らせてもらった時の、心地よさが忘れられない。
どちらかというとこの場が「ショックを受けちゃうから」という理由で
閉鎖されてしまうということがなんだかショック。
【3日目】
ショートステイ。
夕方、あるおばあちゃんから突然
「あなた、恋したこと・・・ある?」と聞かれる。
そのあと長い時間かけて、学生時代にした淡く優しい恋の話をしてくれた。
私もおばあちゃんのように、90歳になっても
目に涙をためながら鮮明に語れるような恋をしてきただろうか?
と、ついつい真剣に考えてしまう。
【4日目】
ショートステイ。
急遽部屋が移動になったおばあちゃんが
「のけものにされた」「こっちには友達がいないから寂しい」
「私なんかもう来なくていいんだ」と言って怒っていた。
「向こうの部屋に空きがなかった」ときちんと説明しても、
気分転換に話をそらしてもダメなようで、職員さん達てんやわんや。
しばらくして慣れたのか、何も言わなくなったけれど、
父方の祖母に似たような症状があったので胸が痛かった。
午後。同じ話を何回も何回もしてくれるおばあちゃん。
聞く側としては話に変化が欲しいので、
都度、一つずつ違う質問をして話を掘り下げてみると、
次の回ではその質問に対する答えをあらかじめ付け加えた形で
さっきと同じ話をしてくれることが判明。
話せば話すほど話が長く、そして詳しくなる。
逆にすごく記憶力がいいのでは?と思う。
↑BARスタイルでお茶をプレゼントしてくれるおじいちゃんもいて粋だった。
【5日目】
昨日から部屋が移動になったおばあちゃんが
「のけものにされた」「こっちには友達がいないから寂しい」
「私なんかもう来なくていいんだ」と言って怒っていた。
(昨日も同じことで怒ってたじゃん!!!)と思いつつも、
あちらに記憶がなくともこちらには記憶がある。
ということはやり直しのチャンス。前向きに捉える。
「今日はおばあちゃんが来てくれたから
こっちの部屋の雰囲気が明るくなって嬉しいよ!」
と伝える。すると、嬉しそうにはにかんで
「どうぞよろしくね。」と答えてくれた。
おばあちゃん、やり直しの機会をくれてありがとう。
夕食の前に、最後のあいさつをする。
私が来ると麻痺している手を上げて満面の笑みで挨拶してくれるおじいちゃん。
超スパルタで編み物を教えてくれたおばあちゃん。
自己紹介した日から、毎日私の名前をブツブツと唱えて一生懸命覚てくれたおじいちゃん。
普段はムスッとしているけど、内緒話をすると私だけに見えるようにこっそり笑ってくれるおばあちゃん。
職員さんもおじいちゃんもおばあちゃんも、あっさりお別れの挨拶をしてくれたのに
私、一人で号泣。
相変わらずの情緒不安定さに自分でドン引き。みんなもドン引き。
感動的なようなそうでもないような、
微妙な雰囲気のなか、施設を後にする。
【色々】
実は、亡くなった私の祖母も、認知症だった。
当時中学生の私は、
一緒に住んでいたにも関わらず
どう接していいかわからず、
部屋にこもって避けてしまっていた。
私のおばあちゃんはとても穏やかな人で
それでもいつもニコニコとしていたけれど
きっとどこかで、
心細さのようなものを
感じていたんじゃないかと思う。
当時のことを思い出しながら、
その時できなかったことを
全力でやった5日間。
認知症になると、周りの人も戸惑うけど、
一番戸惑っているのは、ご本人だということが
言葉の節々からよく伝わってきた。
記憶が途切れる不安の中で、
当の本人が生きる自信をなくしがちだということが
私は一番悔しい。
どんなに認知症が進んでも、
家族に対して
「どなたかは分かりませんが、親切にありがとうございます。」
と涙を流しながら丁寧に頭を下げてくれたおばあちゃんは
最後まで立派だったと思うし、
格好良かったと、大人になった今ならわかる。
(から、余計悔しい。)
「認知症になってもその人が持ってる尊厳は変わらない」
ということは
おばあちゃんと、今回関わったみんな教えてくれたから、
もしこれから私の大切な人たちが
認知症になったとしたら
私は最後の最後まで、
全力でそのことを伝え続けていきたい。
おばあちゃんが亡くなった時に
ぼんやり考えていたことを
確信に変えることができる5日間だった。
最後に、
受け入れてくれた施設のみなさんと
素敵な時間をくれたおじいちゃんおばあちゃんに感謝。
この記事見つけても、怒らないでね。
おわり。
Text by : じっしゅうせい
勉強を頑張るじっしゅうせい。
ごくごく普通の生活を送っている。