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DJ NOAH VADER:My Music Life 003

My Music Life 003

皆さん、こんにちは。
ライス兄弟の次男、メガネは丸メガネスタイルの方のノアです。
高校生の頃からずっと何かにつけて「ノアってジョンレノンに似てるよね」と言われ続けていたので、自分から寄せていこうと思ったのが始まりです。
なので今でもあだ名はジョンレノンです。音楽を通じてラブ&ピースを発信していきます。
あ、でも早死にはやだな。

さて、今回からは前回の連載の最後にお伝えした通り、僕の長ったらしい自己紹介をする為に半生をその時触れた音楽を切り口にして話していこうと思います。
なので今回から数回にわたり、メインは私事になります。
「お前の人生なんてそんなに興味ないわ!」と内心思った方、まぁそう言わずに。

さて今回は私の少年時代の話。つまり今がベイダーだったら、私がアナキンだった頃の話です。
なのでこのコーナーは名づけて「NOAH VADER’S SAGA –ダークサイドに堕ちるまで–」

なお、選ばれし子どもだったかどうかは分かりませんが、小学校では毎日のようにスターウォーズごっこをしてました。しかもよりによってダースベイダーが死ぬシーン。(あ、ネタバレしちゃった)

そんな子どもの頃から僕の人生にはいつだって音楽がありました。
そして最初、僕に音楽を叩き込んでくれたのは親父でした。

というわけで、今回のDJ NOAH VADER’S RECOMMENDED!!

The Beach Boys – Fun Fun Fun

いかにもアメリカ。いかにも西海岸。調べてみたらジャンルとしてはサーフ・ロックというらしいです。
彼らのデビューシングルの名前も「サーフィン」。いや、そのまんまやん。
このグループ、初期メンバーが音楽を始めたきっかけもサーフィンで、初期の頃の音楽テーマも「カルフォルニアの青年のライフスタイル」、つまりサーフィン。もうここまでいくと突き抜けてますよね。
ちなみにこのビーチボーイズ、あのビートルズと対抗心バチバチの関係だったみたいで、ビーチボーイズ側が「こっちも色々やってくで!!」って言ってサイケデリック・ロックに手を出したものの保守的なアメリカ青年には受けなくて、結局前までのサーフィン・ロックに戻ったという経緯があります。
そういう意味では当時のアメリカの若者のアンテナにどストライクでビビッときてたバンドだったんですよね。曲調でなんとなく分かりますね。
そして当時、同じくアメリカの青年だった私の親父、トーマス・グリーン・ライスにとってもどストライクだったのです。

そういうわけもあり、このビーチボーイズはもちろんだったのですが、他にもエルビスプレスリーや、エラ・フィッツジェラルド、ルイ・アームストロングなどなどを親父が自分のミックスMDに入れて、子どもがそれを聞く。というか聞かされる。それが我が家の伝統でした。

でもこの曲、聞くだけでかなり古い曲って分かりますよね。なんてったって60年代の音楽ですもん。
21世紀を生きるミレニアム・チルドレンには、いくら音楽を聴くのが好きでも飽きる。でも飽きても親父が「夏はビーチボーイズっしょ!」とか言う。

なので、我々兄弟と親父はそんなに仲が良いとは言えなかったのです。
もちろん、音楽に関する方向性の違いで仲が悪くなる的な、バンドメンバーの不仲のテンプレートみたいな理由だけではありませんでした。

父は仕事一筋の人で、アメリカ人らしく「I love you」は一丁前に言うのに、僕ら兄弟のケアにはそんなに関わっておらず、実質的には母親がほぼ全てを担っていました。
そんな環境で育った私たち兄弟はいつしか「I love you」という言葉に胡散くささを感じるようになるのです。
それに父はなかなかの”構ってちゃん”でもありました。
自分の持つ知識を披露してスゴい!と言ってもらいたいのが見え見えで、子どもからして結構痛い人だったのです。

父親としては、家族間で愛し合いたい。でも子どもからしたら、父の役割や必要性を実感出来てなかったので、反発したのでした。
そして次第に父は何とか存在感を出したいと、他人から見たらストーカーとも取れる行動を取るようになりました。
この頃には、もう親子の縁がほとんど切れかかっていました。

しかし、そんな仲の悪かった父にも2つの事では何よりも感謝している事があります。

1つは、兄が生まれた時に周りの反対を押し切り、どんな重い障害があっても地域の中で育てると言い切った事。

そして2つ目は、私がどれだけあれこれ言おうと、僕の音楽に関する全ての基盤は親父が作って無理矢理聞かされたMDによって作られたものだという事です。
親父はたしかに普段のケアはあまりしてませんでしたが、唯一毎日やってくれてたのが学校への送り迎えでした。そしてその道中、親父が聞かせてくれたオールディーズやジャズが、ある点ではDJを始めるきっかけの根底にあるのです。

この2点、とてつもなく大きな2点を自分の嫌いな父親が与えてくれだのです。

また、上で語った父親が子どものケアにあまり協力的でなかったという話についても、今となっては少し考えを直しています。

というのも、兼ねてから障害児の親だけでなく、世間一般的にも子どもの面倒をメインとしてみる、いわゆるキーパーソンとなる人は母親が多いですよね?
皆さんの周りにもシングルマザーは多くても、シングルファザーは少ないんじゃないでしょうか?
おそらく、それも夫婦が別れる前から母親が育児を担っていたり、世の中が「育児は母親がメインでやる事」と思っているからだと思います。

しかしこの場合父親は、育児に参加”しない”んでしょうか?
それとも”出来ない”んでしょうか?
少し難しく言えば、原因が個人にあるのか、環境にあるのか、という話です。

ここで私が言う環境というのは、「会社の仕事に追われて〜」とか、「社会制度が整ってないから〜」とか、ニュースでよく言われる事ではありません。
もちろんそうした事も大きな理由の1つだと思います。
しかしここで一回、私の父親の立場になって考えてみましょう。
仕事から帰って6時半。さぁ、子どもと一緒に過ごすぞ!と思っても、子どもはちょうど食べ物を食べさせてもらったり、痰を出したりしています。そしてそれは母親が1人で全て完結させてる。
「え、あ、お父さん?ああ、別にいいよ。ご飯食べてたら?お母さんが全部やってくれるし!」なんていう雰囲気の中、父親の立場は明後日の方向へ飛んでいきます。
つまり、僕が考える課題は、制度や仕組みとかそんな大きな事ではありません。

それよりもむしろ、かねがね世の中年パパの皆様が仰ってる「最近家庭に居場所がなくて…トホホ」があるんじゃないんでしょうか?
どうでしょう?

今思えば、親父も普段子どもの育児とケアに関われてなかったので、自分の存在を送り迎えの車の中での音楽に託したんだと思ってます。

皆さんの中にもし親父と仲が悪いという人がいたら、是非一度ほんとに親父自身が悪いのか、それとも周りがそうさせてるのか?と考えてみてください。
もしかしたら、親父だって頑張ってるけど空回りしてるだけなのかも。

なんだか、ホッコリとした終わり方になってしまいましたね。いかんいかん。もっとハードでいなくては。

という訳で、今回はこの辺で。
最後に毎回忘れられがちの音楽の話をしておくと、ビーチボーイズは今もう既に解散してしまってて、新曲などは当然無いのですが、活動中に沢山楽曲をリリースしています。
今回チョイスした音楽の他にも、もっと多くの名曲があるので、60年代のカルフォルニア・ボーイズと同じ感性を持ったそこのあなたは是非他の曲もディギンしてみてください。
Amazonでベストアルバムも売ってますんで。

次回は中学校時代のお話。
「ノア少年、ハードロックとの遭遇」をお送りします。

それでは皆さん良い音楽生活を!!

Text by : ライス趙 ノア